今楽龍時に来ている方々がお祝いをしよう!と本日祝賀会を開いてくれることになりました。
ありがとうございます。
大変嬉しく思います。
これを機に「音楽の街 吉川市♪」になるよう微力ながら頑張らせて頂きます。
宜しくお願い致します。
今楽龍時に来ている方々がお祝いをしよう!と本日祝賀会を開いてくれることになりました。
ありがとうございます。
大変嬉しく思います。
これを機に「音楽の街 吉川市♪」になるよう微力ながら頑張らせて頂きます。
宜しくお願い致します。
昨日のMakoto Liveはギターの東海林克とでした。
今から30年以上前に諸々あって当時中学1年生だった彼に出会った。
とにかくギターに興味があってちょっとしたこともどんどん吸収して上達も早かった。ある時からそんな彼が作曲をするようになりバンドメンバーと共に私のところに来てレコーディングをし学校ではヒーローだったようだ。
その頃、作った曲を今回たまたま発見し昨日のライブで披露した。私のYouTube「まこちゃんねる」にUpしたので聴いてみて下さい。
https://youtube.com/@MakotoShigehiro?si=8RdsqrybkEO4URSX
地元のホールやちょっと離れたライブハウスでライブをやったり、彼らはどんどん大きくなって行った。
そんな中でも克はよくうちに来ていたのだが、ある頃から反抗期⁉️があり暫くは会うことが無かったこともあった。
彼は合わない間もずっと自分の音楽を育てていた。
気がつくとあちらこちらの地方のCMや宣伝に彼の音楽が使われるようになっていた。
しかし、彼の方から連絡が来るまでは私の方からはあまり声をかけないようにしていた。
長かった。
そして彼に子供が出来たことをキッカケに顔を出してくれた。
それからというもの、幸せに満ちた親子⁉️共演がまた始まった。
自分意外の音楽に私のDNAを感じることがこんなに嬉しいことか…
師匠冥利とはこういうことなのかな。
コントラバスって面白い。
このところ、毎日弾いているコントラバス。
6弦ベースを弾いているベーシストにはなぜかコントラバスを弾いている人が多い。
なぜなんだろうとずっと気になっていた。
最近少しだけ弾き慣れて来てわかったことがありました。
ベースというものが欲しいとなったらコントラバス意外は無いなぁと思った。
そうでは無く、様々なことを器用にこなすことが欲しいとなったら6弦ベース。
ということ。
今後はこの二本立て、もしくは各現場において変えて行くかもしれないな。
これからがとても楽しみだ。
今朝ほどのYouTube有料化の審査が!夕方に通過のメールが届きました👏
随分と遠回りをしましたがようやくここまで来ました。
支えてくれてる皆様はじめ、コンテンツ提供を一緒にされている方々本当にありがとうございます。
これからもマコちゃんねる面白い‼️と思うものや私の記録的なライブ、音楽にまつわる情報など色々と発信させて頂きますので宜しくお願い致します。
チャンネル登録がまだの方、好評価、グッドボタン、コメントお待ちしております^_^
今日はご報告です。
YouTubeの有料化最後の審査までようやく辿り着きました。
これは私にはとても大きな重いものとなりました。
みなさんありがとうございます。
この審査が通った暁にはまたYouTubeでパーティが出来たらと思います。
審査通過の結果は1ヶ月後だそうですので、これからも宜しくお願い致します。
明日から、いやいや0時を回ったので今日から4月だ。
桜の開花があちこちから届き私のいるところも間も無く開花かな。
今日書きたいと思ったのはそんなことではない。Wikipediaでの紹介のされ方に驚きが止まらないのだ。私より上手い人も素晴らしい人も大勢居るのにですよ、このような書かれ方は逃げたくなりますよ。そんな器では無いですから。
今年も1/3が終わってしまったと思うとまだ何もしていないことにちょっとぼんやりしすぎてるのかなぁと思ったりしてます。
いつもありがとうございます。
寒い日が続き今朝は雪がたらついたりしましたが午後からは少し日が差したりしましたね。
Wikipedia掲載がわかってから1ヶ月半くらい経ちましたが、私の中でも色んな変化がやって来ました。
これが名誉なことならばそれはみんなの代表としての名誉であり、この名誉は皆のものだということ。祝うのは応援してくれた皆に対して私がするのが本当なのだろうと思った。
おのれの未熟さというのかダサさが目立つ。
全くもって自分本位で私利私欲のかたまりだと気付かされました。
こんなやれやれな自分とこれからも付き合う自分って随分とお人好しだ。
オレなら、いの一番に遠ざかりたい奴ですよ。傲慢で偉そうで、すぐに小山の大将に成りたがり、これといった凄く秀でたものがあるわけでも無い。そんな奴がWikipediaに掲載されたりするものだから、それはそれはさぞかし周りは迷惑だろう。本来なら外も歩けないくらい恥ずかしい奴だ。
宜しくお願いされても付き合いたくは無い。それでも自分だけは死ぬまでこんな奴と一緒ってそれはかなりの修行だ。ボランティア団体でも拒否されるだろうね。
さーて、明日はレッスンからスタート。
目の前にある小さなことから丁寧にやって行こう、
こんにちは。
タイトルにもありますが、先日お客様からこんなことを言われました。
客 Wikipedia掲載 おめでとうございます㊗️
私 ありがとうございます。けどなんだかよくわからないんですよね。なので素直に喜べないんです。
客 そんなことは無いですよ。凄いことなんですから喜んでいいと思います!
私 そうなんですね…なんかよくわからないけど喜んでいいんですね!
なんていうやり取りがありました。
掲載を知ったのが2月の頭くらいだったのかな。
それから約1ヶ月経ってようやく実感というか、ああそうなんだ。と感じるようになり公人としての自覚が少し出て来ました。
とはいえ何が変わったわけでも無く、むしろ今まで抱えていたことの手枷足枷が取れた感じで自由になった感はありますね。
楽龍時を始める時もこんな畑のど真ん中にライブ喫茶なんかやって客なんか来る訳ないよ!駅からもこんなに遠いしわざわざ電車バスに乗ってさらに徒歩でなんて絶対に来ない!とみんなに言われなど今ではお客様が来ない日は無い。これは奇跡だね。小夜香さんパワーなのでこれは素直に感謝してます。
同時に環境や周囲のせいにするより、やるという覚悟があるか無いかだけなのかも知れないですね。
話しを音楽に戻します。
6弦ベースを始めた頃、1987年頃かな。21歳だったと思うから。Moon MBC6 custom を最初に手にした時。ベースは19歳だから1985年かな?ギターは11歳だから1977年あたりだと思う。親の影響でベンチャーズが好きでメロディを奏でることが好きというか唯一出来ることだったからいろんな曲のメロディばかり弾いてた。それがベースになっても変わらずメロディを弾いていたのですが4弦ベースだとどうにもしっくり来ないのでギターと同じく6弦のベースがあったらいいんじゃない?みたいな感じから6弦ベースに変更しメロディを弾けるようになったんだけど最初から音が気に入らない。ベースとしてはいいのだけどメロディを弾くにはどうにも好きな音では無い。それから様々なブランドの6弦ベースを試し1989年に最初のFoderaを入手しここからはガラリと変わって行った。当時135万円のベースって凄かったです。それでもメロディを弾こうと思うとまだちょっと違うという探究心が芽生えいよいよ本格的にメロディを弾くようになり当時カセットテープでの販売で初の6弦ベースのアルバムを出したことがあった。何を入れたかは覚えて無いけどオリジナルだろうな。
そんなこんなでメロディをちゃんと弾くようになったのは1990年頃。
それからはベースとメロディはよく弾いていましたね。結構昔からメロディは弾いていたんですね。
それをYouTubeにupしたところ非難の格好の
餌食で世界中から叩かれたけど辞める気も理由も無いのでずっとやってたら今のようなことになった。
楽龍時も音楽人生も周囲からは可能性は0‼️と言われるところからのスタートでした。
やっとベーシストにしてもらえた。
ありがとうございます。
お祝いの実行委員会が発足した。
とても嬉しいことです。
ありがとうございます。
Wikipedia掲載に伴いファンの皆様が実行委員会を立ち上げて下さり画策して下さってます。
以後、より一層おごらず周囲には感謝を持って接するよう務めさせていただきます。
また、2021年にはダウンロード国内インスト部門第4位になったことから更なる注目を集めることとなり合わせて厚く御礼申し上げます。
https://www.tunecore.co.jp/artists/Makoto-Shigehiro
2011年3月11日14:47
忘れもしない東日本大地震。
楽龍時のスピーカースタンドに立ててあったスピーカーは飛び、トイレやお風呂場のモノは全て落ちたり割れたりして家の中はぐちゃぐちゃ。同時に止まない余震が幾度となく起きる。
あれは本当に凄かった。
発生から1日たった頃に東電に勤める方から電話が来て今すぐそこを離れるようにとのこと。
たまたま17日からツアーに行く予定だったらので前倒しをして13日か14日に出たのだけど、大阪を過ぎるまでコンビニには食料は全くなく、ガソリンスタンドは行列が出来ていて身動きが取れない感じだった。
たまたま10日にガソリンを満タンにしてあり、給油することなく大阪を通過することが出来た。食料もコンビニやスーパーには普通にあった。
その後に再度東電の方からの電話で原発はもうもうもたない。メルトダウンは確実だという内容だった。
その数日後にメルトダウンが始まった。
先月2月16日、シャンソンの発表会伴奏のあとに追突事故に遭い2月29日から通院が始まった。
しかしそんな重症でなく温めたりマッサージしたりで充分楽になるので今週で終わりかなと思ってます。
話し変わって、
昨年2023年12月に発売した37作目のソロアルバム!「シテール」❣️絶賛発売中です‼️みんな買ってね〜♪
ベーシストとしては多分異例だと思いますが、いわゆるベースらしいベースは弾いていないのが私のスタイルでもあら訳ですが、ダウンロードで2021年インスト部門国内第4位になり1000万ダウンロードを超えたのはとても自慢です。
さらに今年Wikipedia掲載、国語事典掲載、著名なベーシストとして掲載されたりと名誉なことが多いスタートとなりました。
誰もが知らないベーシスト重廣誠は今でも密かに水面下で頑張ってます。
エンターテイメント(entertainment)とは、人々が楽しみ、興奮し、感動するためのさまざまな活動や表現を指す言葉です。音楽、映画、演劇、スポーツ、ゲームなど多岐にわたり、人々の心を豊かにし、社会を活性化させる役割を果たしています。
あらためて自分の音楽におけるライブというものを考える。
音だけで表現出来る人はそれでいい。私のようなモノはいかに楽しんでもらえるかを様々な方向から考え、取り入れていかなければ振り向いてもらえないし仕事が来ない。
極めると一言で言っても抽象的な捉え方ではそこには行きつかない。何が実現可能かの時点で自分でちょっとだけワクワクすることを見つけ出せるかどうか。これはとても大きい。そこからの努力の仕方にも「センス」が必要で、話が長い、説明に長文になるものはまず上手く行かない。
ポイントをハッキリさせしっかり着地させることが「楽しく」出来るかどうか、だと思う。
なのでちょっと話しをしたらすぐにわかる。話しが長かったり、着地点の見えない話しをする人はまず目的達成はできないパターン。
理不尽なギブアンドテイクを求めて来る人も同じだ。
今乗り越える必要が必然なら諦めなけれは必ず達成出来るはずだ。諦めるな!自分の目的目標に対する姿勢を貫け。
長い付き合いの人にはバレてしまうものなんだな。
以前と目が違う…。本当は進行してるんでしょ?
立て続けに違う人に言われてちょっと動揺してしまった。
きつい時があるけど、それはみんなそうだよね。
もう無理なんじゃないかな…という不安がよぎることが少しづつ増えてきてる。
楽しくやることにどんなに意識を置いてもちょっとペースダウンしないとならないのかな。
生きていればいろんな壁がある。様々な切羽詰まった状況も。
命の火が消えると思ったあの頃を思えばなおのことやって出来ないことはないと思える。
動かしたいものは目に見えるものでは無いからね。
ますます派手好きな方とは距離を置きたい。
冷静に判断して大きなことには目を向けず出来る僅かなことを大切に足元から熟す。それがオレのやり方。
ダウンロードの一番安いのは1回0.00円。しかし0では無い。これが10億行けばたとえ1円でも…。
昨年暮れに1000万を超えた。高い金額なら1曲ダウンロードで100円を大きく超える。
まだまだ先は長いがとにかく聴いてもらえるようになろう。サブスクのお陰で1回聴いてもらっても子供の頃の母親の内職1個50銭より安い。時代が変わっても相変わらず1銭単位の仕事をしているわけだからオレは世の中には取り残された江戸時代を生きているってことですね。
稼ぐぞ!
元はと言えば、オーバーブッキングが原因なのですが朝からお茶の水カカドゥにて中村記子さんの音楽教室発表会の伴奏とソロ、14:15に終了して15:30に本庄市 Space You 結にて錦織裕之さん、光野真理さんとのライブ、という2本立て続けのライブでした。
その前日、古くからの友人でもある佐藤喜彦君に以前と目が違うと気付かれて病気の話しになり真実を打ち明けた。
そんなこともあったので昨日の連チャンはやってみたかった。
体力は幸い大丈夫そうだが、脳がチリチリしている。聴いたことのない耳鳴りがして怖いなと思いながらも眠ることが出来たのだけれど朝起きたら強めの耳鳴りが止まない。
今日は午前中に銀行周りをして午後はゆっくり休んだ方が良さそうだ。
2月に入りWikipedia、国語辞典、辞書などには、ベーシスト、作曲家、実業家で掲載されており、他にも「著名なベーシスト」としてなど様々なところに名前が掲載されるようになり、これから何やら変わって行くのかも知れないなと予感させられています。
この歳になりこのようなことがあるとは夢にも思わず応援して下さっているファン(不安⁈)の皆様には心から感謝しております。
他にも様々なところに掲載されており、ベーシスト・作曲家として非常に光栄なことと思っております。
今後の作曲家としての活動ですが、50代になった折に70代になっても弾ける曲ということをテーマに作曲をして来ました。元々全く賢くは無い人間なので10年かけて覚えて10年かけて弾き慣れて70代では頭で覚えてなくても体が覚えていれば弾ける曲だったらまだまだ行けるかな、という発想からでした。
既に、アレだよ、アレ!が始まっているので今しか無い!と思い慌てて作った曲もあります。
6弦ベース奏者として、ベーシストとしての今後ですが、変わらず自然をテーマにしたメロディアスなギターとは違ったベースを用いての柔らかいメロディ、そしてじょんからや平家に次ぐ他には無い奏法をまた見出して行けたら楽しいですね!
37作目のCD「シテール」に挿入されているオリジナル曲はまさにそのものズバリで、今後CDは発売する気は無くこれが最後だと思っています。
ボイスメモなどで残すようにはしているのですけどね。
それでも作曲もベースも続けますので新曲はダウンロード販売になるかと思います。
もちろん、CDを作って欲しいという声がたくさんあれば作るかもしれませんが今現在ではそのような声はなくみなさんダウンロードをして下さっているようなので。
とはいえCDにはダウンロードには無い曲をたくさん入れてますし、売り上げの一部は能登半島地震災害復興支援の義援金に回させて頂いております。
興味のある方は、インターネットで「重廣誠」を検索してみて下さい。
面白い情報も赤裸々に掲載されてしまっているかもしれません。私もまだWikipedia掲載の全容は見ていませんので。
長くなりましたが、今後も自然をテーマにした音楽を演奏して行きたいと思いますので変わらぬ応援のほど宜しくお願い致します。
この度は本当にありがとうございます♪
2024年と書くことにまだ慣れないまま1ヶ月が過ぎた。
体調を大きく崩したり、右手に大火傷を負ったりしたが普通の人よりも多い自然治癒力の強い細胞のお陰で完治。
周囲の人たちの思いが一番大きな励みになった。
1月1日に能登半島で大きな地震があり、2月2日にようやく義援金ライブが出来て2月5日に能登町と輪島市に10万円づつ寄付することが出来た。
気休めなことしか出来ない。
復興頑張って欲しい…反面これしか出来ない自分が虚しい。
大人しく音楽だけをやっていればいいものを。
その音楽ですら満足に演奏出来なくなって来てることに気が付いているのに…。
よくここまで頑張って来たよね、自分。
本当によく生き返ったものです。遺書まで書かなければならない状況にあったあの頃が嘘のようだけど、だからといってもし疲労が蓄積したり過度に仕事をしたら次は無いと鍵を刺されている以上無理は出来ないけど、最後の力は自分に使おうかな。とは言ってもそんなに本番を入れることも出来ないから微妙なところだけどね。
あまりの寒さに寝てもすぐに目が覚めしまう。屋根裏は良くも悪くも自然なところ。それがいいのだろうけどね。