明日は吉川駅から羽田空港まで電車移動。
一番苦手で緊張&パニックになってしまう。
時間から時間を完璧に乗り換えないと目的の時間に目的地に辿り着けない。さらにベースアンプやエフェクターがあるためとても重く歩くのにとても時間がかかる。その分余計にスケジュールはたてているもののやり切るまでは不安でいっぱいだ。
羽田空港での荷物の預けで超過料金発生の可能性が高いのも気になっている。
無事に帰宅することが出来ますように。
明日は吉川駅から羽田空港まで電車移動。
一番苦手で緊張&パニックになってしまう。
時間から時間を完璧に乗り換えないと目的の時間に目的地に辿り着けない。さらにベースアンプやエフェクターがあるためとても重く歩くのにとても時間がかかる。その分余計にスケジュールはたてているもののやり切るまでは不安でいっぱいだ。
羽田空港での荷物の預けで超過料金発生の可能性が高いのも気になっている。
無事に帰宅することが出来ますように。
時は滴り流れて行くものですね。
そしてまた明日という未来が残酷に思えることもある反面、輝かしく感じることも待ち遠しく感じることもある。
そんな1日1日は紛れもなく人生の終焉に向かっている。
今しか出来ないことを精一杯、一生懸命にやって生きて行くこと以外には何も無い。
たとえどんなに辛くても、目の前にあるものを少しでも真剣に楽しみを見つけてやって行くしかない。
まだ少しだけ音楽をやることを許されている今のうちに。
誰からも求められない音楽になる前に…
やっておこうと思う。
ある意味、奇跡のユニット。
音楽的に心地良い曲が多いこともあるが、ピアノの錦織貴子氏ファンと私のファンとが解散後になぜか2分した。それにも関わらずrareTonesサウンドを求める声が私の耳には入る、というか私のファンの方には多いし、私の音、彼女の音を平等に求めるファンがいることも事実だ。
無論、彼女のファンは私という人柄が気に入らないのかなんなのかわからないがイイ顔はしないが私のファンにはそんな狭い偏った考えの人はいないのが非常に嬉しいし本当に音楽を聴いてくれてるのだなと思える。何より今までの音楽やYouTubeをわざわざ聴いて好きになってくれたファンもいるくらいだ。
ともあれ、rareTonesが再び今年の5月からニューサンピア埼玉おごせでのロビーコンサートを開催し9/22(日)14:30〜15:30には2回目のコンサートとなる。さらに3回目が同会場で11/24(日)14:30〜15:30にある。
オリジナルサウンドが一番の武器であるこのユニットだが、何より自分たちが一番オリジナルが好きなのだ。
rareTonesの音楽を気に入ってくれるファンが今後また増えてくれたら何よりも嬉しいなと私は正直に思う。
いつまで音楽そのものが出来るのかの方が心配ではあるのだが、可能な限り続けては行きたいと思う今日この頃だ。
昨日、イージーリスニングというジャンルに自分の音楽が分類される、ということかと思っていたのだけどどうやら微妙に違うかも知れない。
というのも、リラクゼーションミュージックというものや自然環境音楽など様々あり、それらはイージーリスニングに含まれるものもあれば微妙に違うものもあるらしい。
そこで調べてみた。
イージーリスニングとは…Wikipediaによると、
イージーリスニング(easy listening)とは、ピアノや小編成のオーケストラなどによる小曲や軽音楽で、気軽に聴けるソフトで聞きやすい音楽の総称です。
なんだそう。つまりはギターとベースは小編成ではあるがクラシック音楽におけるオーケストラの小編成には当たらない。
しかし、気軽に聴けるソフトで聞きやすい音楽ではあるんですよね。
なんかちょっと複雑。
で、リラクゼーションミュージックはWikipediaによると、
リラクゼーションミュージック、またはヒーリングミュージックとも呼ばれる音楽は、心身の疲れを癒したり、リラックス効果をもたらしたりすることを目的としてつくられています。
心身の疲れを癒したり、リラックス効果をもたらすことを「目的として」作られている…
これもちょっと違うでしょ。結果そういうこともあるかも知れないが、それを目的に作った訳では無いんだよね。
でですよ、自然環境音楽ってのはWikipediaによると自然環境音楽とは、日常の環境の一部として自然な聴取体験を促す音楽、環境音に近い音楽を指します。目立った音が少なく同じコードで繰り返し演奏され、聞き流すことが出来ます。
限りなく近いがこれもまた微妙に違いますよね。
ということで、どれにも当てはまる部分もあれば当てはまらない部分もあるということがわかりました。
申請時に今まではワールドミュージックやただインストということだけだったような気がしますね。
結局、インストということだけはわかりました!
音楽を始めた頃からインストで、曲を作ると癒し系でライブをやればみんなからは眠くなる、よくわからない、一度聴いたらもういいかなぁ…などまあ、ネガティブな意見しか聞いたことが無いくらい不評だ。
しかしインターネットの世界では真逆の反応でインスト部門国内第4位。1000万ダウンロード突破など到底ライブで聞く感想とは真逆のものだった。
それがここに来てライブでも感想が変わって来た。私としては何も変わらない。いや寧ろ聴きたく無いものを無理に聴かなくてもいい。オレがやりたいと心から思えて表現したい音楽をやるだけだから、付き合う必要は無い。
共鳴、共有、同感出来る人たちと一緒に音の景色を見て行きたい。そして人生の幕が閉じるまで一緒に歳を取って行きたい。
オレの中身は昔と変わらずハードロックだ。
オレが作る大自然をテーマにした音楽のジャンルは癒し系だのイージーリスニングだの言うがそんなのは関係ない。
必要なのは大自然を表現するのにもっと大きなエネルギーだ!もっと過激でパワフルでとてつもない程の集中力を必要とする。
人呼んでオレがやる音楽ジャンルはイージーリスニングという。
ならそう言えばいいし、その言葉の意味はどうでもいい。あだ名のようなものだ。
なら胸を張ってイージーリスニングと言うよ!
こんにちは。
8月も1/3が過ぎてしまいましたがいかがお過ごしでしょう。
昨日はニューサンピア埼玉おごせにて「La Chazz」のロビーコンサートが日中にあり、夕方からは越生町いこいの広場にて灯籠流しのイベントがあり音響をやって来ました。
14:15〜15:15がロビーコンサートで16:00〜21:00が灯籠流しのイベントだったのですがニューサンピアから車で10分程のところで助かりましたが結局、音響セッティングが間に合わず5分遅れのスタートになってしまいました。
ニューサンピアロビーコンサートはLa Chazzでは初めての会場でしたがお客様と一丸となって盛り上がったコンサートで相変わらずメンバーに助けられたコンサートでした♪
夕方からの灯籠流しでは音響をやらせて頂いたのですが、とにかく暑い🥵。
ミキサーはiPadで行うのですがあまりの暑さに暴走してしまいなかなか良い経験が出来ました。最後には和太鼓が入ったのですが、PAの方で全くそれは想定外だったのとボーカルの立ち位置が明確では無かったため音を遠くに飛ばすためにセンターにJBL MK2を2本センターに置いてしまった。気づいた時はすでに遅くスピーカーの真ん前1mくらいのところで歌うものだから当たり前だがハウリングとの格闘になった。さらに追い討ちをかけるように最後には和太鼓グループが入り、もうなるようになれ!とばかりにイコライジングを徹底的にやりながらレベルをじわじわとあげて行った。
JBLに初の出力リミッターがかかった。その後ミキサーが3度に渡り落ちてしまい、復旧に慌てたのだがまぁなんとか出来たのかなという感じだ。
出力に不足を感じたのは今回が初めてだった。というか、スピーカーの真ん前1m程のところで歌を歌っているところでハウリングをさせずにアンプ出力をMAXまで上げなきゃならない状況をやって退けた自分に拍手👏と思いました。よく頑張ったぞ自分‼️
7/29に広島にてレッスンをやって、美味しいお好み焼き(府中焼き)をご馳走様になりその日のうちに広島を出発し7/30の午後に楽龍時に到着しました。
31日水曜日ではありますが休業にしていたのですが電話が鳴り止まず、福岡での映像編集と音の編集で結局は3日間費やすことになり、昨日8/1はMAKOTO'S quartettoでのSompoケア配信ライブということで、8/2の今やっと少し時間が出来たので書いてます。
今晩Ashibar Clubのライブがあるので開店は13:30からにして20:30まで営業することになりました。
夜の営業は結構楽しい^_^
話しはツアーに戻るけれど、鈍ってますね。
博多に着いた時は疲れがどっと出て本番大丈夫かなぁと思いましたが、帰りは車中泊もしっかり休めてゆっくり帰って来れたので疲れはそんなにないだろうとたかを括っていたら、昨日波が来てコレはなかなか体力復活困難か?!
2500kmくらいでこんなに疲労してしまうと今後は公共機関でしか行けなくなりアンプを購入しなおさないと行けなくなるなぁ。
まぁなんとかなるか。
その時に考えるとしよう。
で、こんばんはAshibar ClubのライブであさってがAshibar Clubでのニューサンピア埼玉おごせになるのでまた遠方へと。旅は楽しいから好きなんだけどね。収入を考えるとそうも言ってはいられないなぁ。
博多に着いて、とあるところで就寝をさせてもらってる。扇風機はあるがエアコンは無い。足を伸ばして寝られるし布団もある。ここはきっと30℃はあるだろう。ここはとても乾燥している。ただ暑いだけだ。エアコンがある生活が当たり前になってしまっている。
ふと、沖縄戦のことを思い出した。
高温多湿な濠の中で布団もない生活を余儀なくされさらには命の危険と背中合わせの状況。
それに比べたら何と贅沢なことを思い考えてしまったのだろうと恥ずかしくなる。
まずは感謝。
有難いです。
そしていよいよ明日は本番。
暑くてなかなか寝付けない環境という甘えた考えも正直言うとありますがで、明日は精一杯やらせていただきます。
車で福岡へ行ったのは何年前のことだろう。
25日木曜日Sompoケア配信ライブが終わり、福岡へと車で向かった。代車では到底難しいと思っていたがベンツが修理から戻って来て、代車とはおさらばしてベンツで向かうことが出来たのは良かったのだがあまりの体力の無さに自分が驚いた。
埼玉から静岡を抜けたあたりから予想しない疲労感が一気に襲ってきた。まぁ止まって寝れば大丈夫だろうとたかを括っていた。以前のように眠れない。寝てもすぐに目が覚めてしまい深い眠りにまで辿り着けない。目が冴えてしまい、ハンドルをにぎり再び走り出すもすぐに襲いかかる疲労感。また車を止めて寝るのだがかえって疲労感が大きくなって行く感じになってしまった。
大阪を過ぎたあたりだったか、これ以上は無理かも知れないなと思いながらもランナーズハイのような状況に精神状態が移行しちょっと走っては、横になりを繰り返し何とか博多まで辿り着いたのだが、疲労感MAX、というか振り切れてしまった感じだ。到着してようやく横になり即寝てしまった。
今日はリハをやり明日が本番。
あさっては帰路に着くのだが、途中広島に寄りレッスンをしてから帰るのだが、今度は休み休みというわけにはいかないので出来る限り体力を温存しよう。
Berlti国内最大の店舗が銀座店なのかな。
いつも担当して下さっているwさんが今日はお休みでお会い出来ずに残念でしたが、フロアマネージャーが丁寧に対応して下さりワクワクが止まらないテーマパークのような店内がより一層楽しくなりました。
11時に店舗前に車を付けて、店内に行きパティーヌの相談をする予約をさせて頂いております、とスタッフに告げ担当してくださったのがフロアマネージャー(FM)でした。
まずは靴を預け、色見本の説明をして下さいました。
靴を見た職人さんが本当に1年履いているのですか?!とびっくりされて、FMも靴を見て今買ったばかりのようですね、と採算おっしゃられたので、スタッフのwさんが丁寧に色々教えて下さりその通りにやっているだけですよ、と答えました。
それにしてもここまで綺麗に履いて下さるなんて嬉しいです!と言われ私もとても嬉しかったです。
履くたびに乾燥と磨きは欠かさずやって来ましたからね。
エルメスもそうでしたが、私のような身なりのものが行っても親切丁寧に対応してくれるのは本当に嬉しいです。当たり前のことかも知れませんがこんな下品な男にお付き合い頂き痛み入ります。
まだステージでしか履いたことが無いので、早くこの靴で街中を歩けるようになりたいものです。
2月18日にあった追突事故の続きです。
即日、車を買った店に修理を依頼。
追突されたところのバンパーは治ったもののそれ以降、全く加速しなくなり原因を探ってもらうため再度店に行き、かなりの金額の部品代と工賃がかかったのだがうちの車を見るためのテスターが無いので何が悪いのかわからないとのことでうちの車のメーカー専門の修理屋さんに車を持って行くことになったのだが、この時点で事故から2ヶ月が経っていた。そして車屋に入庫出来るまでまた時間がかかり結局5月頭にようやく入庫することが出来た。
通常の経年劣化による交換部品エンジンマウント、ミッションマウント、ブレーキパッド、ブレーキローターの他、様々な部品交換をする度に1点10万円が飛び続け、最終的に80万円を超えた。
それでも直すのには訳があった。
新車購入で1000万円の車ということもあるが、一番なのは100万キロ乗った猛者が何人も周りに居たこと。コロナ禍が長かったせいで乗れない時間も多くあったので距離はまだまだそこまでは行っていないですが、ツアーをやるようになったらここから一気に走行距離が伸びることだろうなと思う。
この車がいいという一番の理由、それは長い時間を共に過ごせる車であるということ。
私が初めてこのブランドの車に出会ったのは17歳の時。大人になったら乗りたいブランドだった。手に入れて運転席に座った時にはとても驚いた。あれから何十年も経っているのに運転席周りにある操作系の配置が当時と殆ど変わっていなかったのです。もちろん電装系や最新のモノに変更はされてはいるけど、基本的に配置は変わっていなかった。
初年度登録2011年。既に13年経過しているが日本車の考え方だともうよく動いてるね!という寿命が来てる感じですよね。腐ってもべ○ツ。その言葉通り、いやそれくらいの年月ではまーだまだ腐らないです。なにせ100万キロ走りますからね。交換部品を定期的に交換して行くことがそのキーポイント。どちらかというと私の方がアップデートできて無いなぁ。
走る上で静かで安堵感があり、何より運転してて疲れないというのは長距離を走る上では欠かせないところだからね。
またそんな彼女(車)と一緒に歳をとって行けると思うと嬉しい。
今日はMakoto's Quartettのリハでした。メンバーはボーカル石川咲那、バイオリン石川小夜香、ギター向井智宏、ベース重廣誠の4名。
ボーカルの咲那はとても初ライブとは思えない程の歌唱力とまっすぐ安定した音程で発音も良く、声の立ち上がりも早い。美しく透明感のある伸びやかな素晴らしい歌を披露してくれた。
バイオリンの小夜香は最近ジャズバイオリンを習っているだけでなくキッチリとした予習、復習で実戦に備えて来てるだけあり、伴奏もソロも一枚皮が剥けて来た感じだ。
友宏のギターはいうまでもなく、私の好きなタイプのプレイヤーで珍しくガチでやる気にさせてくれるギタリストだ。
この4人のメンバーの素晴らしいところは皆地に足が付いていて、常識をしっかりと弁えているところだ。あたりまえのようでなかなか難しいのは音楽以前にそんな常識があるか無いかだと私は思う。私を敬って欲しいのではなく、互いに尊敬し合える仲でありたいと常日頃から思っているのだが、そこは言葉遣いひとつにも現れる。
皆、所作が美しい。これは私にとってはとても重要なことなのです。
物事は一度止まって考えなければならないことが意外と多いように思う。特にメンバーを決める時や仕事の発注を出す時にはたとえそれがボランティアであったとしても次に繋げるというのはとても大切なこと。その辺をよく理解出来る演奏が出来なければならない。自らの演奏にだけ真剣になるようでは到底つとまらない、と思う。
音楽はエンターテイメント。
米空軍時代のミュージシャンのパスの所属はアミューズメント・エンターテイメント部門になっていたのを思い出す。
2月18日に追突事故に出会し病院通いも去ることながら、車が未だ直ってこない。
仕事に支障がリアルになって来てしまいかなり困惑している。。。
いつもならツアーを組み経費を捻出するのだが7〜9月の本番の予定が組めないため夏秋のツアーは見送らざるを得ない状況になってしまった。
いよいよ死活問題になって来てしまった。
面白い夢だったので書いておきます。私の個人的な記録ですね。
何かが窮地に立たされてて、周囲のみんなからいきなりゴッドタレントに出場するしかない!と言われて、何をしたらいいんだ?とみんなに尋ねると、なんでもいいからやるんだ!と言われて、楽器も無いも無いことを伝えたら、歌えばいい!と言われて、片言の英語で歌うことになり歌ったら優勝して身に余る賞金を貰った。
最近、Facebookにも公人・著名人という括りになり私の知らない至る所でそんなふうになって来たのを人生の先輩でもあり友人にどうなったらこうなるのかな、と質問をした。
彼は会社役員を複数されており、自身でも様々な地域貢献をされている。いわばコンサルの達人的な方で演奏でも何度かお世話になったりしました。
彼が「Wikipediaに掲載されればね!笑」。
そんなにWikipediaに掲載されることって影響力があるものなのか…まだ直接的な仕事に繋がった訳でもなく、ただちょっとだけ普通の人より弾けるか否かくらいなものなのに。
名誉なことなのは何となくわかるが、しかし現実ではソロが聴きたいのでぜひ演奏しに来て下さい!みたいな話しは皆無だ。このギャップがなんとも私には現実感を無くすモノになっている。
どこか私の知らないところで注目をされているのであればそれがどこなのか気になるところだ。
まぁ、これからも公人化・著名人化が進んで行くのかも知れないが、そんなことを知ってか知らぬか分かりませんが私の前で理路整然と音楽を語る方の多いこと。これの方がとても楽しい。もちろん私も音楽の全てを知っている訳では無いがまぁ語ること、語ること。音楽はこうでなくちゃダメだとかあーだこうだ…。
流石に先日はあまりにも過ぎるのでこれを止めるか否か考えながら聴いていたのだけど、結果少し口出しをしてしまった。
しかし、これはいかなる場合、場面でも口を出すべきでは無かったな、と思いましたね。
というのも個人個人のスタンスに基づいての賢明であって質問を私に求めて来たのであれば応えるのは良いかも知れないがそうでないことは静観しておくのがいいのでしょうね。
明日からは気を付けます。
そんなたいそうなことではない。
特別じゃ無いしみんな普通にやってるよ!
そう言われるかも知れない。
けど私にはその目の前にある鍵のかかっていない扉はとても大きく重いものだった。
コロナ禍でライブ配信の仕事をする傍ら、近所にある市民農園でFacebookに2.3曲撮影をしてupした。
とても反響がありいつかここで配信ライブがやりたい!もしくは畦道からライブ配信が出来ないかと思うようになり、近所の方に聞いてみたところ農政課の許可があれば出来ることがわかり、即電話をした。
結果は却下…ここ吉川市上内川の美しい田園風景をぜひ全国の皆さんに見てもらいたい!そんな思いを話させて貰ったが基本、音を出すことは出来ないと言われなくなく諦めた経緯があった。
あの時の農政課への電話…結構長く粘った。周囲のお世話になっている農家の方にも協力してもらって名前まで出させてもらい、個人の持ち物の田んぼの畦道ですら音を出すことは許可出来ないと頑なに言われた時のことを思い出していた。
そのことを近所の農家の方に話したところ、そっか…農政課でOKが出ないと難しいな、けどなんでだろう。オレの土地なのにおかしな話しだぞな!って言ってくれた。
それから2年…どうしても諦め切れず個人的に田んぼの畦道から少しずつUpはしていたがやはり違法なんだと思うと撮影に躊躇いが出てしまい諦めがちになっていたある日、市長にその話が出来るタイミングが訪れこのことを話したら、そんなことは無いよ!出来るよね?とそんな条例無いよ!と…一度市役所に来てよ^_^と笑みを浮かべながら暖かく市長が言ってくれた。
もう一度は却下されてるのでダメ元で自分としては一生懸命に企画書を書いた。恥ずかしい程の内容と小学生のような文書だったと思う。
市長秘書さんから6/5 10時 政策室にとアポをとってくれた。
私なりに一生懸命に書いた企画書を握りしめ政策室へと向かった。
市長はしげちゃんはプライベートの顔を見せてくれて、再度具体的な話しを聞かせて欲しいとのことで企画書を提出。市長はこれ出来ない理由無いよね!吉川の宣伝にもなるからやりましょう!
その後、農政課に案内をして下さいました。
市長に宛てた企画書と同じものを農政課の係長とその担当の方にもお渡しし、これはとてもいい企画だとその場で利用許可が下りた。
結果、市長のお力添えを頂いてしまったことへの罪悪感も僅かにありながらもこの門が開くことに大きな感動と喜びが沸々と湧き上がって来た。
そして明日6/6 15:00〜16:00 SOMPOケア配信ライブからスタートする許可が出た。
ありがとうございます!感謝です。
そりゃ、音楽家に成ったからには金持ちになりたい。夢を売ってるのに夢が無いことはやりたく無い。上手い下手ももちろん関係ないとまでは言わないけど大切なのやっぱりはエンタメ性ですよね。見て、聴いて楽しめるかどうか。それが上手さならもちろんそれでいいけど、それだけでは無いですよね。
それは楽龍時でやるオープンマイクみたいてとても思います。本気でやってる人たちの音楽には人を動かすパワーがありますものね。
先日、Wikipediaに今度は6弦ベースのmaestroとして紹介が追加されてて何事⁉️と思いましたが思い当たる節としては世界初のことを淡々とやって来た。ひとつにはバッハの無伴奏チェロ組曲、そして津軽じょんから、スタンダードジャズ、それとやっぱりオリジナル。今から30年くらい前ってそんなのやってる人、というか6弦ベースを弾いている人すら居なかったですからね。最初から第一人者。そりゃそうですよ。オレしか居ないんだもん。それでバッハやったり民謡やジャズやったりオリジナルやったりすれば誰でも1番ですよ。競争相手0人だものね。
なのでそこらへんの評価なのかなぁって思ってます。maestroは大袈裟だと思いますけどね。お弟子さんも言ってましたが他人の評価がそうなのだからそれでいいと思います、とのこと。
なので今後はmaestro Makotoで宜しく‼️笑
昨日出会ったばかりのアイドルのようなスタイルもよく可愛い二十歳くらいの女の子が夜尋ねて来た。
笑顔でオレの寝ている布団にいきなり入って来てびっくりするのも束の間。
抱っこして!と言わんばかりに近くに寄ってきてじーっとオレの顔を見る。
彼女は若いのもあるがスタイルもとても良くオレの手を掴んで彼女の腰の方へと回してくる。
しかしなぜか変な気がmaxにはならずとても冷静なオレ。
緊張してもおかしくないタイプの女性?女の子?
名前は知っているはずだが思い出せない。いつものように。
抱きしめてあげたらとても安心したようでお礼を言われて即寝てしまった。こんな若い女の子の寝顔を見ることがある人生ってオレは幸せだなぁ。歳の差30歳以上だろうから。
まさか抱き合いながら添い寝をすることがあるなんてとても興奮して眠れないかと思いきやオレも彼女の寝顔を見ながら即寝てしまった。
という夢を見た。。。
とてもリアルな夢でしたが、もしかして女神?!
前に行くって、特別なことではなくて今目の前にあることをただ淡々とこなして行くことでしか無いんだろうな。
今日は今日のやった方がいいと思うあること、やってしまわなければならないことをやる。
あまりに難しすぎて手の出ない、出せないことは別としてもちょっとやれば出来そうなことにはチャレンジして行きたいな。
今やっているレコーディングの一連も随分とソフトの仕様が変わり新たな部分も多分に増え常に勉強していないと追いつけなくなって来てるですがこれはこれで楽しい。音が良くなるからね。昔に比べたら時間もかなり短縮されたように思うしね。
今日で5月も終わりですね。
年齢とともに1日がとても早くなるよ、と人生の先輩方から言われその意味が全くわからなかった40代まで。
50代になり、60代が目前となる今。
早い。1日何をしたのかも忘れ、ご飯を食べたことも忘れ、誰と会ったのかも忘れ、人の名前もモノの名前も忘れ…なるほど、こうやって歳はとって行くのだなぁと思うようになりました。
人生短い。走り切る人生。味わい深く生きる人生。音楽に生きる人生。
さて、あらためてこれからの人生どう過ごそうかな。
辺りが暗くなればなるほど孤独になり不安になる。それはそうなるのが普通だしまともに生きていればそう思うものですよね。
私はそんな暗闇が好きなんですよね。八方塞がりの人生ってなんだかとても苦痛、苦労の話しに聞こえるから美談にしてみんな話すんだろうね。
暗くない暗闇は無いから笑
そんな暗闇が好きな理由はとても簡単な理由で、光が見えるからに他ならない。
音とともに刻んできた。
そして光の中に音を投げ込んで自分よ心も投げ込み音の内部に包まれる。これがいまのところてく
5/25〜28の4日間ではありますが博多ー広島ー神戸と新幹線での初ツアーでした。
まずは、みなさん本当にお世話になりました。博多では私の体調をみなさんが気にして下さり、広島ではお好み焼き屋さんに連れて行って頂き、神戸はとても懐かしい面々と顔を合わせることが叶いました。
音楽を仕事としてやっている以上、それなりに必要不可欠なことを要求されることがあったり、初見だったりすることがあったりするものですよね。もちろん見合うだけの報酬は頂く訳です。
車と電車、どちらもいいところ、不便なところがあるとありました。
車のいいところはコマ割りが効く。大きな荷物を一緒に運べる。
電車のいいところは、最短で次の現場まで行けて運転する煩わしさはない。
さてと次のライブの仕込みをはじめようかな。
博多まで車で行くことしか想定していなかったので今更ながら荷物で壁にあたってしまいました。acoustic imageをどうやって持って行けるか。
行きは自宅ー東京駅と乗り換え、戻りは博多〜広島〜神戸のそれぞれの現場までの移動がかなりハードですね。
体力がかなり落ちているので耐えられるかな。
人に寄り添える人って、自分を本当の意味で大切に出来てて、自分が助けることも、助けられることも出来るんだね。
昔は過去をよく引きずっていたように思うが今は殆ど引きずらなくなった。というのも他人の機嫌はどうでも良くなって自分の機嫌をとならければいけないな、と思うようになったからだろう。
そんな自分がとても珍しくとても腹立たしいことがあり、激しく憤りを感じている。
なかなかここまで思うことは昨今の私には珍しいので自分でもとても驚いている。
さて、どう機嫌を取ろうか。
明日は朝からレコーディングの仕事の続きがあり、作曲もあるので仕事中はそれに集中しているからいいのだが、とにかく根深そうだし改善の余地がまるで無いことを考えるとそういう輩とは距離を置く以外無いなと思う。
しかと現実を胸に刻み自分自身がそれに流されないようにしなければ。
視野はとても狭くなりまるで見えていないし、耳も遠くなり始め、何かにつけて生活がし辛くなって来たのを感じる。
それでもベース弾いてる自分に感謝。
ありがとう!
大きなキャリーケースを買いこれから多くなるツアーに備えて行こうというところでさらに車の修理があと20万円かかることに…既に50万円以上かかっているので70万円くらいになる。それでもなおるかどうかはわからない。まぁ車が車なだけに仕方ないのであろう。しっかり直してまた長く乗ってあげよう。
今後の音楽活動はみんな見直さなければならないな。ひとりの発言・言動・行動が全体に及ぼすことの重要さがわからない以上、仕方のないことだな。
ここ最近、嫌だなぁって思うことがいくつも無いことがわかったのだけれど、嫌なことにぶち当たった時には理性がふっ飛ぶので自分でも制御不能になる。
重廣誠の取り扱い説明書
⚫︎品のない立ち振る舞いが私や友人に対してあった時にはもう二度と関わりたく無いと思う。
⚫︎あからさまな上から目線の態度や言葉遣いをする人も同様。
⚫︎他人と話す時には「親しき中にも礼儀あり」相手を敬う気持ちと心遣い、言葉遣いが出来る大人でありたい。
⚫︎ノリが良いの意味を理解していない大人もダメだな。
⚫︎なんでも制御不能になると碌なことにならない。
⚫︎その後に謝られても、謝ったよね?みたいな反省も何もしていない言葉だけなので繰り返す。
心当たりのある人はくれぐれも私には近寄らないで頂き、話しかけずに速やかに通り過ぎてください。宜しくお願い致します。
「自分の機嫌が一番大切なので、自分の機嫌を損なう人とは関わりたくない」
これは我儘ではなく自己防衛本能だな。
車が事故に遭った2/16。
それからセンサー異常のランプが点灯するようになった。
自動車工場のアソシエイトでは後部バンパーのみを直したもののテスターが無いため、久喜市のオートフィールドに5/7に入庫しテスターで見てもらったところEGRバルブが原因のようということがわかった。
しかしその部品は国内にも本国にも在庫がないとのことで修理が原則不可能という状況に陥った。
症状としてはパワーがまるで無くオーバーパスもアンダーパスも登らなず30kmのスピードがMAXでとても仕事で使える状況ではない。
しかし、博多の本番や来月からの越生、いわき市等々の本番が全て行けなくなってしまう。理由は機材が必要で人も乗れないとならないからだ。今回の修理代だけでもかなりの高額になるためとても車を買い換える費用はない。
EGRバルブがAmazonなどにはあるようだがこれを交換しても治る保証は無いので賭けになるそう。
ちょっと深呼吸して、ゆっくり考えるより他ない。それにしてもかなりの額が既にかかっているだけにその支払いをどうするかも大きな課題になってしまった。
どうしたらいい…
オレには能力も才能も努力したと言える程のことも無い。
ファンの人から言われた一言が胸に刺さった。
「自分の功績をもっと認めて欲しい!」
自分がエゴの塊だったと気付かされた…。
今まで応援してくれてる人たち、音楽の先輩たちのことを考えたら腑に落ちた。
これはみなさんに対する感謝の表現になるんだと考えたことも無いことに気付かされた。
Facebook始めSNSにやっと表記する気になれた。
結局仕事三昧で終わったGWでしたが、最終日の今日はお疲れ様‼️と言わんばかりにほっこりさせてくれるお客様がご来店。
もう35年前からの友人で某ハワイアンバンドのバンマスの娘さんでそれはそれは美人で目を見て話せない程でした。
お互い35年も経ってまた会えるってとても幸せだなぁって思ったなぁ。
あの頃は様々なバンドや音楽活動と作曲に明け暮れてたから細かいことまではあまり覚えてはいないけど楽しかった。
今もまたとても楽しい毎日に明け暮れて日々を走り切っている感じ。
Wikipediaも日々編集されててたまに見ると面白いです。今回足されていたのはWarwick Alien6の製造が一時停止になるそうでそれに伴い、世界的に数少ない奏者になってしまったことによる評価が付け足されていた。
今楽龍時に来ている方々がお祝いをしよう!と本日祝賀会を開いてくれることになりました。
ありがとうございます。
大変嬉しく思います。
これを機に「音楽の街 吉川市♪」になるよう微力ながら頑張らせて頂きます。
宜しくお願い致します。
昨日のMakoto Liveはギターの東海林克とでした。
今から30年以上前に諸々あって当時中学1年生だった彼に出会った。
とにかくギターに興味があってちょっとしたこともどんどん吸収して上達も早かった。ある時からそんな彼が作曲をするようになりバンドメンバーと共に私のところに来てレコーディングをし学校ではヒーローだったようだ。
その頃、作った曲を今回たまたま発見し昨日のライブで披露した。私のYouTube「まこちゃんねる」にUpしたので聴いてみて下さい。
https://youtube.com/@MakotoShigehiro?si=8RdsqrybkEO4URSX
地元のホールやちょっと離れたライブハウスでライブをやったり、彼らはどんどん大きくなって行った。
そんな中でも克はよくうちに来ていたのだが、ある頃から反抗期⁉️があり暫くは会うことが無かったこともあった。
彼は合わない間もずっと自分の音楽を育てていた。
気がつくとあちらこちらの地方のCMや宣伝に彼の音楽が使われるようになっていた。
しかし、彼の方から連絡が来るまでは私の方からはあまり声をかけないようにしていた。
長かった。
そして彼に子供が出来たことをキッカケに顔を出してくれた。
それからというもの、幸せに満ちた親子⁉️共演がまた始まった。
自分意外の音楽に私のDNAを感じることがこんなに嬉しいことか…
師匠冥利とはこういうことなのかな。
コントラバスって面白い。
このところ、毎日弾いているコントラバス。
6弦ベースを弾いているベーシストにはなぜかコントラバスを弾いている人が多い。
なぜなんだろうとずっと気になっていた。
最近少しだけ弾き慣れて来てわかったことがありました。
ベースというものが欲しいとなったらコントラバス意外は無いなぁと思った。
そうでは無く、様々なことを器用にこなすことが欲しいとなったら6弦ベース。
ということ。
今後はこの二本立て、もしくは各現場において変えて行くかもしれないな。
これからがとても楽しみだ。
今朝ほどのYouTube有料化の審査が!夕方に通過のメールが届きました👏
随分と遠回りをしましたがようやくここまで来ました。
支えてくれてる皆様はじめ、コンテンツ提供を一緒にされている方々本当にありがとうございます。
これからもマコちゃんねる面白い‼️と思うものや私の記録的なライブ、音楽にまつわる情報など色々と発信させて頂きますので宜しくお願い致します。
チャンネル登録がまだの方、好評価、グッドボタン、コメントお待ちしております^_^
今日はご報告です。
YouTubeの有料化最後の審査までようやく辿り着きました。
これは私にはとても大きな重いものとなりました。
みなさんありがとうございます。
この審査が通った暁にはまたYouTubeでパーティが出来たらと思います。
審査通過の結果は1ヶ月後だそうですので、これからも宜しくお願い致します。
明日から、いやいや0時を回ったので今日から4月だ。
桜の開花があちこちから届き私のいるところも間も無く開花かな。
今日書きたいと思ったのはそんなことではない。Wikipediaでの紹介のされ方に驚きが止まらないのだ。私より上手い人も素晴らしい人も大勢居るのにですよ、このような書かれ方は逃げたくなりますよ。そんな器では無いですから。
今年も1/3が終わってしまったと思うとまだ何もしていないことにちょっとぼんやりしすぎてるのかなぁと思ったりしてます。
いつもありがとうございます。
寒い日が続き今朝は雪がたらついたりしましたが午後からは少し日が差したりしましたね。
Wikipedia掲載がわかってから1ヶ月半くらい経ちましたが、私の中でも色んな変化がやって来ました。
これが名誉なことならばそれはみんなの代表としての名誉であり、この名誉は皆のものだということ。祝うのは応援してくれた皆に対して私がするのが本当なのだろうと思った。
おのれの未熟さというのかダサさが目立つ。
全くもって自分本位で私利私欲のかたまりだと気付かされました。
こんなやれやれな自分とこれからも付き合う自分って随分とお人好しだ。
オレなら、いの一番に遠ざかりたい奴ですよ。傲慢で偉そうで、すぐに小山の大将に成りたがり、これといった凄く秀でたものがあるわけでも無い。そんな奴がWikipediaに掲載されたりするものだから、それはそれはさぞかし周りは迷惑だろう。本来なら外も歩けないくらい恥ずかしい奴だ。
宜しくお願いされても付き合いたくは無い。それでも自分だけは死ぬまでこんな奴と一緒ってそれはかなりの修行だ。ボランティア団体でも拒否されるだろうね。
さーて、明日はレッスンからスタート。
目の前にある小さなことから丁寧にやって行こう、
こんにちは。
タイトルにもありますが、先日お客様からこんなことを言われました。
客 Wikipedia掲載 おめでとうございます㊗️
私 ありがとうございます。けどなんだかよくわからないんですよね。なので素直に喜べないんです。
客 そんなことは無いですよ。凄いことなんですから喜んでいいと思います!
私 そうなんですね…なんかよくわからないけど喜んでいいんですね!
なんていうやり取りがありました。
掲載を知ったのが2月の頭くらいだったのかな。
それから約1ヶ月経ってようやく実感というか、ああそうなんだ。と感じるようになり公人としての自覚が少し出て来ました。
とはいえ何が変わったわけでも無く、むしろ今まで抱えていたことの手枷足枷が取れた感じで自由になった感はありますね。
楽龍時を始める時もこんな畑のど真ん中にライブ喫茶なんかやって客なんか来る訳ないよ!駅からもこんなに遠いしわざわざ電車バスに乗ってさらに徒歩でなんて絶対に来ない!とみんなに言われなど今ではお客様が来ない日は無い。これは奇跡だね。小夜香さんパワーなのでこれは素直に感謝してます。
同時に環境や周囲のせいにするより、やるという覚悟があるか無いかだけなのかも知れないですね。
話しを音楽に戻します。
6弦ベースを始めた頃、1987年頃かな。21歳だったと思うから。Moon MBC6 custom を最初に手にした時。ベースは19歳だから1985年かな?ギターは11歳だから1977年あたりだと思う。親の影響でベンチャーズが好きでメロディを奏でることが好きというか唯一出来ることだったからいろんな曲のメロディばかり弾いてた。それがベースになっても変わらずメロディを弾いていたのですが4弦ベースだとどうにもしっくり来ないのでギターと同じく6弦のベースがあったらいいんじゃない?みたいな感じから6弦ベースに変更しメロディを弾けるようになったんだけど最初から音が気に入らない。ベースとしてはいいのだけどメロディを弾くにはどうにも好きな音では無い。それから様々なブランドの6弦ベースを試し1989年に最初のFoderaを入手しここからはガラリと変わって行った。当時135万円のベースって凄かったです。それでもメロディを弾こうと思うとまだちょっと違うという探究心が芽生えいよいよ本格的にメロディを弾くようになり当時カセットテープでの販売で初の6弦ベースのアルバムを出したことがあった。何を入れたかは覚えて無いけどオリジナルだろうな。
そんなこんなでメロディをちゃんと弾くようになったのは1990年頃。
それからはベースとメロディはよく弾いていましたね。結構昔からメロディは弾いていたんですね。
それをYouTubeにupしたところ非難の格好の
餌食で世界中から叩かれたけど辞める気も理由も無いのでずっとやってたら今のようなことになった。
楽龍時も音楽人生も周囲からは可能性は0‼️と言われるところからのスタートでした。
やっとベーシストにしてもらえた。
ありがとうございます。
お祝いの実行委員会が発足した。
とても嬉しいことです。
ありがとうございます。
Wikipedia掲載に伴いファンの皆様が実行委員会を立ち上げて下さり画策して下さってます。
以後、より一層おごらず周囲には感謝を持って接するよう務めさせていただきます。
また、2021年にはダウンロード国内インスト部門第4位になったことから更なる注目を集めることとなり合わせて厚く御礼申し上げます。
https://www.tunecore.co.jp/artists/Makoto-Shigehiro
2011年3月11日14:47
忘れもしない東日本大地震。
楽龍時のスピーカースタンドに立ててあったスピーカーは飛び、トイレやお風呂場のモノは全て落ちたり割れたりして家の中はぐちゃぐちゃ。同時に止まない余震が幾度となく起きる。
あれは本当に凄かった。
発生から1日たった頃に東電に勤める方から電話が来て今すぐそこを離れるようにとのこと。
たまたま17日からツアーに行く予定だったらので前倒しをして13日か14日に出たのだけど、大阪を過ぎるまでコンビニには食料は全くなく、ガソリンスタンドは行列が出来ていて身動きが取れない感じだった。
たまたま10日にガソリンを満タンにしてあり、給油することなく大阪を通過することが出来た。食料もコンビニやスーパーには普通にあった。
その後に再度東電の方からの電話で原発はもうもうもたない。メルトダウンは確実だという内容だった。
その数日後にメルトダウンが始まった。
先月2月16日、シャンソンの発表会伴奏のあとに追突事故に遭い2月29日から通院が始まった。
しかしそんな重症でなく温めたりマッサージしたりで充分楽になるので今週で終わりかなと思ってます。
話し変わって、
昨年2023年12月に発売した37作目のソロアルバム!「シテール」❣️絶賛発売中です‼️みんな買ってね〜♪
ベーシストとしては多分異例だと思いますが、いわゆるベースらしいベースは弾いていないのが私のスタイルでもあら訳ですが、ダウンロードで2021年インスト部門国内第4位になり1000万ダウンロードを超えたのはとても自慢です。
さらに今年Wikipedia掲載、国語事典掲載、著名なベーシストとして掲載されたりと名誉なことが多いスタートとなりました。
誰もが知らないベーシスト重廣誠は今でも密かに水面下で頑張ってます。
エンターテイメント(entertainment)とは、人々が楽しみ、興奮し、感動するためのさまざまな活動や表現を指す言葉です。音楽、映画、演劇、スポーツ、ゲームなど多岐にわたり、人々の心を豊かにし、社会を活性化させる役割を果たしています。
あらためて自分の音楽におけるライブというものを考える。
音だけで表現出来る人はそれでいい。私のようなモノはいかに楽しんでもらえるかを様々な方向から考え、取り入れていかなければ振り向いてもらえないし仕事が来ない。
極めると一言で言っても抽象的な捉え方ではそこには行きつかない。何が実現可能かの時点で自分でちょっとだけワクワクすることを見つけ出せるかどうか。これはとても大きい。そこからの努力の仕方にも「センス」が必要で、話が長い、説明に長文になるものはまず上手く行かない。
ポイントをハッキリさせしっかり着地させることが「楽しく」出来るかどうか、だと思う。
なのでちょっと話しをしたらすぐにわかる。話しが長かったり、着地点の見えない話しをする人はまず目的達成はできないパターン。
理不尽なギブアンドテイクを求めて来る人も同じだ。
今乗り越える必要が必然なら諦めなけれは必ず達成出来るはずだ。諦めるな!自分の目的目標に対する姿勢を貫け。
長い付き合いの人にはバレてしまうものなんだな。
以前と目が違う…。本当は進行してるんでしょ?
立て続けに違う人に言われてちょっと動揺してしまった。
きつい時があるけど、それはみんなそうだよね。
もう無理なんじゃないかな…という不安がよぎることが少しづつ増えてきてる。
楽しくやることにどんなに意識を置いてもちょっとペースダウンしないとならないのかな。
生きていればいろんな壁がある。様々な切羽詰まった状況も。
命の火が消えると思ったあの頃を思えばなおのことやって出来ないことはないと思える。
動かしたいものは目に見えるものでは無いからね。
ますます派手好きな方とは距離を置きたい。
冷静に判断して大きなことには目を向けず出来る僅かなことを大切に足元から熟す。それがオレのやり方。
ダウンロードの一番安いのは1回0.00円。しかし0では無い。これが10億行けばたとえ1円でも…。
昨年暮れに1000万を超えた。高い金額なら1曲ダウンロードで100円を大きく超える。
まだまだ先は長いがとにかく聴いてもらえるようになろう。サブスクのお陰で1回聴いてもらっても子供の頃の母親の内職1個50銭より安い。時代が変わっても相変わらず1銭単位の仕事をしているわけだからオレは世の中には取り残された江戸時代を生きているってことですね。
稼ぐぞ!
元はと言えば、オーバーブッキングが原因なのですが朝からお茶の水カカドゥにて中村記子さんの音楽教室発表会の伴奏とソロ、14:15に終了して15:30に本庄市 Space You 結にて錦織裕之さん、光野真理さんとのライブ、という2本立て続けのライブでした。
その前日、古くからの友人でもある佐藤喜彦君に以前と目が違うと気付かれて病気の話しになり真実を打ち明けた。
そんなこともあったので昨日の連チャンはやってみたかった。
体力は幸い大丈夫そうだが、脳がチリチリしている。聴いたことのない耳鳴りがして怖いなと思いながらも眠ることが出来たのだけれど朝起きたら強めの耳鳴りが止まない。
今日は午前中に銀行周りをして午後はゆっくり休んだ方が良さそうだ。
2月に入りWikipedia、国語辞典、辞書などには、ベーシスト、作曲家、実業家で掲載されており、他にも「著名なベーシスト」としてなど様々なところに名前が掲載されるようになり、これから何やら変わって行くのかも知れないなと予感させられています。
この歳になりこのようなことがあるとは夢にも思わず応援して下さっているファン(不安⁈)の皆様には心から感謝しております。
他にも様々なところに掲載されており、ベーシスト・作曲家として非常に光栄なことと思っております。
今後の作曲家としての活動ですが、50代になった折に70代になっても弾ける曲ということをテーマに作曲をして来ました。元々全く賢くは無い人間なので10年かけて覚えて10年かけて弾き慣れて70代では頭で覚えてなくても体が覚えていれば弾ける曲だったらまだまだ行けるかな、という発想からでした。
既に、アレだよ、アレ!が始まっているので今しか無い!と思い慌てて作った曲もあります。
6弦ベース奏者として、ベーシストとしての今後ですが、変わらず自然をテーマにしたメロディアスなギターとは違ったベースを用いての柔らかいメロディ、そしてじょんからや平家に次ぐ他には無い奏法をまた見出して行けたら楽しいですね!
37作目のCD「シテール」に挿入されているオリジナル曲はまさにそのものズバリで、今後CDは発売する気は無くこれが最後だと思っています。
ボイスメモなどで残すようにはしているのですけどね。
それでも作曲もベースも続けますので新曲はダウンロード販売になるかと思います。
もちろん、CDを作って欲しいという声がたくさんあれば作るかもしれませんが今現在ではそのような声はなくみなさんダウンロードをして下さっているようなので。
とはいえCDにはダウンロードには無い曲をたくさん入れてますし、売り上げの一部は能登半島地震災害復興支援の義援金に回させて頂いております。
興味のある方は、インターネットで「重廣誠」を検索してみて下さい。
面白い情報も赤裸々に掲載されてしまっているかもしれません。私もまだWikipedia掲載の全容は見ていませんので。
長くなりましたが、今後も自然をテーマにした音楽を演奏して行きたいと思いますので変わらぬ応援のほど宜しくお願い致します。
この度は本当にありがとうございます♪
2024年と書くことにまだ慣れないまま1ヶ月が過ぎた。
体調を大きく崩したり、右手に大火傷を負ったりしたが普通の人よりも多い自然治癒力の強い細胞のお陰で完治。
周囲の人たちの思いが一番大きな励みになった。
1月1日に能登半島で大きな地震があり、2月2日にようやく義援金ライブが出来て2月5日に能登町と輪島市に10万円づつ寄付することが出来た。
気休めなことしか出来ない。
復興頑張って欲しい…反面これしか出来ない自分が虚しい。
大人しく音楽だけをやっていればいいものを。
その音楽ですら満足に演奏出来なくなって来てることに気が付いているのに…。
よくここまで頑張って来たよね、自分。
本当によく生き返ったものです。遺書まで書かなければならない状況にあったあの頃が嘘のようだけど、だからといってもし疲労が蓄積したり過度に仕事をしたら次は無いと鍵を刺されている以上無理は出来ないけど、最後の力は自分に使おうかな。とは言ってもそんなに本番を入れることも出来ないから微妙なところだけどね。
あまりの寒さに寝てもすぐに目が覚めしまう。屋根裏は良くも悪くも自然なところ。それがいいのだろうけどね。