1月21日〜23日までボランティア演奏に南相馬市へ行って来ました。
いきさつはいつもお世話になっている川越の蔵の茶屋かくれんぼさんからの紹介でした。
南相馬市は地震、津波、放射能の3つを抱えながらもたくましく生きていました。
南相馬市で迎えて下さったのは星さんご夫妻。いろいろとお世話になり本当にありがとうございます。
以前から音楽で役に立てることは無いかな、と思っていたので行くことにしました。
行ってみて本当に良かったと思ったのは、自分の目で、耳で、肌で現実を知ることができ、改めて音楽が役に立てるのだとわかったことです。
南相馬市は報道されている現状とは全く違い、今では物資は行き届き、以前のような生活を送っていました。コンビニでは立ち読みする人がいたり、タバコを買いに来る人がいたりしていました。ただ、放射能のせいでやむ終えずお店を再会出来ずにいるところも数多くあるため、以前の半分程度しか開いてはいませんでした。家は倒壊していなくとも、危険区域内であるため帰宅出来ない方、屋内避難と言われ危険であるにもかかわらず帰宅しなければならない方、皆さんそれぞれにとても感慨深い状況を抱えていました。
爆発時に家にいて被曝し、体調の悪さを訴えたところ、いきなり末期ガンだと言われ余命宣告をされてしまった方、ある病院が危険区域だと通告を受け、明日自衛隊が助けますのでと言われ無く無く病院を離れおじいちゃん、おばあちゃんを置いて自衛隊を信じて(というか国を信じて)、その場を無くなく離れ避難したのち、結局立ち入り制限が発令されてしまい自衛隊すら入ることを拒まれ、おじいちゃん、おばあちゃんを助けることが出来ずその後どうなったかすらわからないまま悔しい思いを抱いている方々。。。未だ遺体が見つからず毎日海岸へ探しに行っている方…。
写真
これは瓦礫ではありません。私たちの生活の一部。大切なものが一瞬にしてこんな姿に、と話して下さいました。そうですよね。もし私も楽器がこんな姿になってしまいブルドーザーで押されながら積み上げられてしまったら発狂しちゃいます。そう思うと心が痛みます。
仮説住宅
これは新しいタイプの仮説住宅で2件でひとつながりになっていたり、一件づつになっていたりしています。これでとりあえず住居は確保出来たものの、あまりに狭いため(中には3世代で2部屋で生活している方がいらっしゃるそうです)大変だと聞きました。
今、わずかでも芸術・文化に触れることで心のゆとりにつながってくれたら。。。
そんな思いで胸がいっぱいです。