長い付き合いの人にはバレてしまうものなんだな。
以前と目が違う…。本当は進行してるんでしょ?
立て続けに違う人に言われてちょっと動揺してしまった。
きつい時があるけど、それはみんなそうだよね。
もう無理なんじゃないかな…という不安がよぎることが少しづつ増えてきてる。
楽しくやることにどんなに意識を置いてもちょっとペースダウンしないとならないのかな。
長い付き合いの人にはバレてしまうものなんだな。
以前と目が違う…。本当は進行してるんでしょ?
立て続けに違う人に言われてちょっと動揺してしまった。
きつい時があるけど、それはみんなそうだよね。
もう無理なんじゃないかな…という不安がよぎることが少しづつ増えてきてる。
楽しくやることにどんなに意識を置いてもちょっとペースダウンしないとならないのかな。
生きていればいろんな壁がある。様々な切羽詰まった状況も。
命の火が消えると思ったあの頃を思えばなおのことやって出来ないことはないと思える。
動かしたいものは目に見えるものでは無いからね。
ますます派手好きな方とは距離を置きたい。
冷静に判断して大きなことには目を向けず出来る僅かなことを大切に足元から熟す。それがオレのやり方。
ダウンロードの一番安いのは1回0.00円。しかし0では無い。これが10億行けばたとえ1円でも…。
昨年暮れに1000万を超えた。高い金額なら1曲ダウンロードで100円を大きく超える。
まだまだ先は長いがとにかく聴いてもらえるようになろう。サブスクのお陰で1回聴いてもらっても子供の頃の母親の内職1個50銭より安い。時代が変わっても相変わらず1銭単位の仕事をしているわけだからオレは世の中には取り残された江戸時代を生きているってことですね。
稼ぐぞ!
元はと言えば、オーバーブッキングが原因なのですが朝からお茶の水カカドゥにて中村記子さんの音楽教室発表会の伴奏とソロ、14:15に終了して15:30に本庄市 Space You 結にて錦織裕之さん、光野真理さんとのライブ、という2本立て続けのライブでした。
その前日、古くからの友人でもある佐藤喜彦君に以前と目が違うと気付かれて病気の話しになり真実を打ち明けた。
そんなこともあったので昨日の連チャンはやってみたかった。
体力は幸い大丈夫そうだが、脳がチリチリしている。聴いたことのない耳鳴りがして怖いなと思いながらも眠ることが出来たのだけれど朝起きたら強めの耳鳴りが止まない。
今日は午前中に銀行周りをして午後はゆっくり休んだ方が良さそうだ。
2月に入りWikipedia、国語辞典、辞書などには、ベーシスト、作曲家、実業家で掲載されており、他にも「著名なベーシスト」としてなど様々なところに名前が掲載されるようになり、これから何やら変わって行くのかも知れないなと予感させられています。
この歳になりこのようなことがあるとは夢にも思わず応援して下さっているファン(不安⁈)の皆様には心から感謝しております。
他にも様々なところに掲載されており、ベーシスト・作曲家として非常に光栄なことと思っております。
今後の作曲家としての活動ですが、50代になった折に70代になっても弾ける曲ということをテーマに作曲をして来ました。元々全く賢くは無い人間なので10年かけて覚えて10年かけて弾き慣れて70代では頭で覚えてなくても体が覚えていれば弾ける曲だったらまだまだ行けるかな、という発想からでした。
既に、アレだよ、アレ!が始まっているので今しか無い!と思い慌てて作った曲もあります。
6弦ベース奏者として、ベーシストとしての今後ですが、変わらず自然をテーマにしたメロディアスなギターとは違ったベースを用いての柔らかいメロディ、そしてじょんからや平家に次ぐ他には無い奏法をまた見出して行けたら楽しいですね!
37作目のCD「シテール」に挿入されているオリジナル曲はまさにそのものズバリで、今後CDは発売する気は無くこれが最後だと思っています。
ボイスメモなどで残すようにはしているのですけどね。
それでも作曲もベースも続けますので新曲はダウンロード販売になるかと思います。
もちろん、CDを作って欲しいという声がたくさんあれば作るかもしれませんが今現在ではそのような声はなくみなさんダウンロードをして下さっているようなので。
とはいえCDにはダウンロードには無い曲をたくさん入れてますし、売り上げの一部は能登半島地震災害復興支援の義援金に回させて頂いております。
興味のある方は、インターネットで「重廣誠」を検索してみて下さい。
面白い情報も赤裸々に掲載されてしまっているかもしれません。私もまだWikipedia掲載の全容は見ていませんので。
長くなりましたが、今後も自然をテーマにした音楽を演奏して行きたいと思いますので変わらぬ応援のほど宜しくお願い致します。
この度は本当にありがとうございます♪
2024年と書くことにまだ慣れないまま1ヶ月が過ぎた。
体調を大きく崩したり、右手に大火傷を負ったりしたが普通の人よりも多い自然治癒力の強い細胞のお陰で完治。
周囲の人たちの思いが一番大きな励みになった。
1月1日に能登半島で大きな地震があり、2月2日にようやく義援金ライブが出来て2月5日に能登町と輪島市に10万円づつ寄付することが出来た。
気休めなことしか出来ない。
復興頑張って欲しい…反面これしか出来ない自分が虚しい。
大人しく音楽だけをやっていればいいものを。
その音楽ですら満足に演奏出来なくなって来てることに気が付いているのに…。
よくここまで頑張って来たよね、自分。
本当によく生き返ったものです。遺書まで書かなければならない状況にあったあの頃が嘘のようだけど、だからといってもし疲労が蓄積したり過度に仕事をしたら次は無いと鍵を刺されている以上無理は出来ないけど、最後の力は自分に使おうかな。とは言ってもそんなに本番を入れることも出来ないから微妙なところだけどね。
あまりの寒さに寝てもすぐに目が覚めしまう。屋根裏は良くも悪くも自然なところ。それがいいのだろうけどね。