2024年と書くことにまだ慣れないまま1ヶ月が過ぎた。
体調を大きく崩したり、右手に大火傷を負ったりしたが普通の人よりも多い自然治癒力の強い細胞のお陰で完治。
周囲の人たちの思いが一番大きな励みになった。
1月1日に能登半島で大きな地震があり、2月2日にようやく義援金ライブが出来て2月5日に能登町と輪島市に10万円づつ寄付することが出来た。
気休めなことしか出来ない。
復興頑張って欲しい…反面これしか出来ない自分が虚しい。
大人しく音楽だけをやっていればいいものを。
その音楽ですら満足に演奏出来なくなって来てることに気が付いているのに…。
よくここまで頑張って来たよね、自分。
本当によく生き返ったものです。遺書まで書かなければならない状況にあったあの頃が嘘のようだけど、だからといってもし疲労が蓄積したり過度に仕事をしたら次は無いと鍵を刺されている以上無理は出来ないけど、最後の力は自分に使おうかな。とは言ってもそんなに本番を入れることも出来ないから微妙なところだけどね。
あまりの寒さに寝てもすぐに目が覚めしまう。屋根裏は良くも悪くも自然なところ。それがいいのだろうけどね。