2025年3月28日金曜日

命と書いて柱

 外の風がとても強い。

隙間の多い楽龍時は室内の風鈴が美しく鳴り響く。


楽龍時の上空では鷹とカラスの攻防をよく目にする。鷹を追い払おうとカラスが群れて鷹に襲いかかるが鷹はいつも反撃をしない。するのは高度を上げるだけだ。するとカラスは酸欠になるのか自然と鷹の周りから居なくなる。実に単純で頭がいい。


私は音楽、ベースで誰かと比べて1番になりたいと思うことは無い。


自らの作った音楽ですら自ら以上に表現出来る者も人気者になれる者もいることを知っているから。


自分が今の自分であるための音楽をやるだけだ。


そうしていたらカラスはいなくなっていた。


モノの数え方には意味がある。

死んだ後に残ったものがそれですよね。

魚は1尾、鳥は1羽、牛や馬は1頭、人は1名…。

では神は?…柱

人の中に神は宿っている。神とは何か…生かされし今鼓動をし続けている命こそそれでは無いかな。先祖代々たくさんの人たちがあるお陰で今の命がある。つまりたくさんの支えがあって今がある。そんなたくさんの命に支えられて今があるから柱というのかな、と思った。現生においても同じく周囲の人たちに生かされて立っている。そういうところから神=命=柱となったのかなと思った。手を合わせるという行為も自分の中に柱が立つのを感じる。


そう考えると、大黒柱だけでは家にはならない。

柱2本では空間は生まれない。最低3本無いと空間は出来上がらないですよね。もし4本あれば立派な空間が出来てそこに意味を持たせることが出来る。ここで気付いたのは柱に意味がある訳ではなく空間に意味があるということだ。

台所、というのも4本の柱の名前ではなくはしらを立てることで生まれた空間の呼び名であると気付きました。柱には命があるが空間には命は無い。これこそ究極の音楽の在り方だと確信した。

大黒柱と普通の柱が3本あればどんな部屋にでも出来る。

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