2023年12月12日火曜日

Love 2023

2023年12月9日にバースデーライブをやらせてもらいました。
たくさんのありがとうと感謝です。

ここにはもういなかったかもしれない自分とこうして向き合えたこと自分でも奇跡のようです。
この曲を作ったのって2009年か08年だった。
とても苦しい生活の中で出来た曲なだけあって思い入れがとても深い。
届かぬ思いを形にしたこの頃、たくさんの6弦ベース1本で弾く曲を作りました。

その時から14.5年が経ち未だたくさんの方々に楽しんで頂けている幸せ、そして何年かに一度だけそうした皆様に喜んで頂ける曲をお届け出来、最近では「雲が降りる庭」「トゥールビヨン」「シテール」が早速高評価いただきアルバムの発売が楽しみです。

2023年11月23日木曜日

思い切って良かった

 今までライブハウスといったらグランドピアノがある。そう思い込んでいた。

YAMAHA C7を思い切って入れてあれから何年経ったのだろう。

弾くお客様は殆ど来ず客席数を考えたらピアノは手放そう…そう思ったのは先月のこと。

随分と悩んだし色々と考えたり思い出と浸った。手放すその日は流石に辛かったし寂しかった。このピアノと一緒に作って来た音楽がこれで終わるのだと思うと後ろ髪を引かれてしまう。自分がピアニストだったら…そう思うこともよくあったが私には必要の無い楽器だ。

しかし、その決断は良かったようで客席数が増えたにも関わらずまだ足りない事態がお陰様で続いている。特にイベント時は大変だ。コロナで席数を15席まで減らしたのだがピアノを手放すことで25席にまで増やせたが最低でも30席は必要な事態になって来た。それを考えても思い切って本当に良かったと思っているしキーボードがあるので今のところは全く不自由はしていない。


話は変わり、来月私の37作品目のCD「シテール」が出来上がって来る。こだわり抜いた今回の作品、なんとマスタリングを5度もやり直すという異例の事態に。理由としてはいつくかあるが、主にはマスタリングの段になり新たな技術が導入されやり直すことから始まりその新技術が幸いにも複数あったことで試してみることに。最後はアナログマスターの制作へと移行して行った。

今回のCDの大きな特徴のひとつは、デジタル録音であるにもかかわらずアナログな音が楽しめるところだ。

CDが完売した暁にはレコードの販売も考えていることを見据えての高音質アナログマスターの制作となったこと。

なんだとなくマスターを聴いているがいい音で毎回ワクワクする。

来月の発売がとても楽しみで仕方ない。

2023年10月29日日曜日

時が過ぎてゆく

 早いもので10月もまもなく終わり。あったような無かったような秋🍂はあっという間に過ぎ去り冬になって行く感じがして、秋を楽しむゆとりもない感じです。

音楽はこのところ多岐に渡り、ベーシストとしての楽しみも増えて来たように思う。ボーカルデュオも少しずつ慣れて来て音楽になって来たかな?

楽龍時に来られるお客様のおかげでベースを弾かせて頂けるのも楽しみのひとつ。

そうそう、ようやくレコーディングも終わりあとはジャケットデザインを残すのみとなった。今回は業者での制作で、最後のCDになるかと思うのでちょっと多めに作って頂き長く楽しんでいただける演目にした。


なぜ最後のCDかというと、もう売れない。

ダウンロードが大半になり、ツアーでも行くことがあるようならCDも売れるでしょうが今は楽龍時中心のためCDを売る機会が無いということが大きいかな。


子供の頃はレコードとカセットテープが主流だった。高校生くらいまではそうだったよなぁ。その後CDが出て来て、MDが後発で出てきた時にはあの手軽さから大ヒットし、CDRの出現であっという間にMDは姿を消しPCによるCDR録音が間近になっていった。気がついたらレコードやカセットテープは姿を消していた。

そんなCDRも再生の信用の低さや手軽さからCDそのものの価値観も変わって行か中で音楽はダウンロード販売へと移行して行った。CDの販売そのものの機会が激減しダウンロードやSNS、YouTubeに取って代わって来てしまった。

音楽を聴くのにもうCDは要らない。さらにはCDというモノがあることが以前は喜びだったものが今ではモノが増えることを嫌う人が増えダウンロードの需要が加速してきている。

が、しかしそんなダウンロード販売もサブスクリプションのお陰で頭打ちになってきている。

そんな中でのCD制作はとても難関だよね。

本当に売れるのか、はたまた棺桶に入れてもらう火種になるのかといった感じだろうな。


いずれにせよ、自分にとっても最後のCDという思いで記念に作ってるのでゆっくりでも完売目指して頑張るしかないね。

2023年10月14日土曜日

さよならC7

 たくさん頑張って手に入れたYAMAHA C7。

楽龍時をライブハウスにしたくて無理して買った。これがあれば少しはライブハウスっぽくなるかと思って。そしてTちゃんがここに居ると思っていたからというのが本音かな。

それも無くなり一変していった。

月日が過ぎて行く中で自分はどんなところでライブをやりたいのかがだんだんと分かって来た。答えは喫茶店でライブをやりたい。ということだった。最も、ツアーで行くところの大半はそんな喫茶店が多かったように思う。


C7を手放し、代わりに高級なピアノ椅子が3脚やって来た。とても触り心地のいい椅子だ。


もうここにピアノは無いのだ。

今は全く実感が無い。その現実にいつか気がつくだろう。その時に思い切り泣くかも知れないし後悔するかも知れない。

けど前を向いてやれるとこは精一杯やって行かなかったらダメだと思う。そう信じている。


ベーシストとしてやれることを淡々とやろうと思う。



2023年10月10日火曜日

感謝は己に…か…

自分の心情や音楽感を勝手に書いているこのブログも随分と長く書いて来たなあ。

10月と言えば楽龍時が13周年になったわけだ。

この13年間、思い起こすととてももがき続けて来た時間だった。まぁ今でもそんなには変わらないかも知れないけど、歳のせいか心にゆとりが生まれてきたな、と思う。

機材も夢にまで見たアンプとキャビネット、6弦アコースティックベース、4弦、5弦のFoderaも手に入れ、ダウンロードも2021年にはインスト部門国内第4位になったり。

でも、なりたい自分になれているのか…というとそうは到底思えない。

寧ろ、モノばかり増えて何も成長出来ていない気がする。大人にも少しはなれてるかも知れないが、それはただ年齢を重ねただけのことで成長と言えるかは微妙なものだ。


オレはどんな自分になりたいと思っているのか…。日々に流されてしまって自分の音楽に覚悟が出来ないことの言い訳のために周りを利用しているのでは無いか。

そんなことを考えてしまう。

ソロの演奏はあまりしたいとは思わない。確かに喜んでくれる人たちはいてくれているが、もしかしたら自分がやりたいこと、なりたい自分とは違うのでは無いだろうかとまた同じく堂々巡りなことを考えてしまう。

なんて傲慢でわがままで甘ったれたことを考える奴なんだお前は!

そんな自分に付き合ってくれてる周りにちゃんと心から感謝を言えているのだろうか。

そんな自分と一番長く付き合ってくれてる自分にちゃんと敬意を持ってありがとう、と言えるだろうか。


なりたい自分になれ!自分‼️

お前はお前のために生きろ。

他人がなんと言おうと好きなことをやればいい。

お前の人生なんだからな。そこでどんな苦しみがあったとしても言い訳だけはするなよ。


他人を裏切ってもいいとは思わないが、自分の気持ちに嘘をついて自分を裏切り続けることの方がもっと残念なんじゃないか?

本気でなんでもやってみてそれから考えても決して遅くはないだろ?

やる前から考えすぎなんだよな、お前はさ。

本気でやってみろよ。

きっと今よりももっと楽しいぜ。

音楽でもなんでもいい。全部本気でやってみればいいよ。

後のことはオレに任せろ。な。

もっと自分を信じてみろよ。お前以上にお前を信じられるやつなんかいないのだから。

立ち止まっている暇はもう無いぞ。

カウントダウンは始まっているんだからさ。

やろうぜ、一緒にさ!

ありがとう、自分。

2023年8月22日火曜日

そうか。あれから2ヶ月か。

 前回のブログから2ヶ月。自分なりに考え弾きながら音楽と、楽龍時と向き合って来た。

当たり前だがオレには音楽しか出来ない。

都会の雑踏のど真ん中にビオトープを作るのような音楽を6弦ベースで届けることだ。

空が見え、風を感じ、水を感じる

広大な大自然を6弦ベースで表現したい。

伴奏であってもそれは同じこと。

オレの伴奏には、大自然を感じる。そんな演奏家になりたい。

そんな音楽家になりたい。

残りの人生、これが私が追い求めて来た音楽のあるべき姿なのではないか、そう気付いた。

違うかも知れない。違っていたらまた修正すればいい。

大ヒットも無い、ひとりのベース弾きが6弦ベースを持ってなんだかフラフラやっているようにしか周りからは見えないかも知れない。

恥も何も全て捨てて再び挑んでみようかなと思い始めている。

出来るかどうかはやってみなければわからない!

2023年6月6日火曜日

音楽家として

 客はどんなに少なくてもいい。

そこから増やせばいいのだから。

他人の目など気にせず自分の感動を楽器を通してありのままに伝えて行く。それだけだ。

そこに理屈もなければ当然策なんか無い。

なのでソロライブは基本その場のお客様の顔を見て決める。

自分が感動していないものを表現してもなんら意味を為さないし他人が感動するわけもない。

心で奏でることが出来ることこそが大切なことだとオレは思う。

真の感動は忘れることは無い。

頭で覚えたことは忘れるから、オレは与えられた曲があったらその曲で自分が感動するまで弾いて感動出来るところを探すね。

そして譜面を見なくても弾けるようになるまでやると違う世界が見えてくる。

それから徐々にそれを膨らませて1曲の曲を曲として完成させたい。

策で作られたもので感動があったとしてもそれはすぐに忘れ去られるから。

オレはそんな音楽はやりたく無い。

やりたく無いのだ。

それがいいものならそれでいいがそれはよく出来たメッキだから。

同じ曲を何度やっても感動する自分でありたい。

何曲も要らない。1曲だけでもいいんだ。

もしその1曲が生まれたらその1曲を大切に育てて行く。

それが出来なければどの曲をやっても同じ結果しか生まれないことを知っているから。


オレのやり方が合っていようが間違っていようがそれも関係ない。


オレはオレの感動を楽器を通して伝えることがオレにしか出来ない音楽だから。

当たり前のことだけどね。

音楽家として、オレはオレの感動を伝える義務があると思っているから「覚えならない🟰真相はやりたくない」だと思っている。

それと余程のことが無い限り人と一緒にはやりたくない。なぜなら自分の音楽を大切にしない人があまりに多いから。