2025年もいろいろなことがありどんな年末になるのやら。
珍しくこの数日前からまた血圧が180を超えて来た。
様々な要因があるけど、基本周囲からの影響を受けやすいのが原因かな。
一喜一憂してしまうのがよくない。
しっかり自分を保って音楽に集中してさえすればいいのだけど人間関係は難しい。
大切にしたいと思っても結果、自分を犠牲にしてしまうことが多い。
気楽に過ごすためにはひとりでゆっくり過ごすのが一番いいのかもしれないなと思う。
作曲家・6弦ベース演奏家
2025年もいろいろなことがありどんな年末になるのやら。
珍しくこの数日前からまた血圧が180を超えて来た。
様々な要因があるけど、基本周囲からの影響を受けやすいのが原因かな。
一喜一憂してしまうのがよくない。
しっかり自分を保って音楽に集中してさえすればいいのだけど人間関係は難しい。
大切にしたいと思っても結果、自分を犠牲にしてしまうことが多い。
気楽に過ごすためにはひとりでゆっくり過ごすのが一番いいのかもしれないなと思う。
アメリカのルート66は旧道に限るよ!という話題になった。
目をキラキラさせて話す3人の男性陣。
思わず聞き入ってしまった。
とはいえ反面とても冷めて聞いていたのだが、コロナ前にアメリカ横断をしてみたいと思っていてその少し後にシアトルに行ったのを思い出していた。
あの頃の自分はどこへ行ってしまったのだろう。
何にこんなに疲れてしまっているのだろう。
少し立ち止まって自分を見つめてみる時期に入ったのか作曲やベースを淡々と弾くことに喜びを感じる。
少し休憩が必要なのかも知れない。
ソロ。
とはいえ、みんなひとりなんだよね。例え組織の中に居たとしても結局は自分ひとりなんだよね。
あらためて振り返る。
この4ヶ月もの間、なぜ書けなかったのか。
ひとつには7月6日に行われた音楽生活40周年記念ソロコンサートがあったから。
もうひとつは真実がなんなのかを見極めたかったからだ。
その答えを先に言うと、有が無に変わった瞬間、小さな粒の熱量となって散って行く。ということ。しかしそのエネルギーは強大でもの凄い衝撃波も残ることでしょう。
正直まだ整理がついた訳ではないけれど、整理がつこうがつくまいが動くしか無さそうだ。
ソロライブをやる覚悟を再び。。。
やれるところからやるしかないよな。
今となってはもう何も無くなってしまったのだから。
外の風がとても強い。
隙間の多い楽龍時は室内の風鈴が美しく鳴り響く。
楽龍時の上空では鷹とカラスの攻防をよく目にする。鷹を追い払おうとカラスが群れて鷹に襲いかかるが鷹はいつも反撃をしない。するのは高度を上げるだけだ。するとカラスは酸欠になるのか自然と鷹の周りから居なくなる。実に単純で頭がいい。
私は音楽、ベースで誰かと比べて1番になりたいと思うことは無い。
自らの作った音楽ですら自ら以上に表現出来る者も人気者になれる者もいることを知っているから。
自分が今の自分であるための音楽をやるだけだ。
そうしていたらカラスはいなくなっていた。
モノの数え方には意味がある。
死んだ後に残ったものがそれですよね。
魚は1尾、鳥は1羽、牛や馬は1頭、人は1名…。
では神は?…柱
人の中に神は宿っている。神とは何か…生かされし今鼓動をし続けている命こそそれでは無いかな。先祖代々たくさんの人たちがあるお陰で今の命がある。つまりたくさんの支えがあって今がある。そんなたくさんの命に支えられて今があるから柱というのかな、と思った。現生においても同じく周囲の人たちに生かされて立っている。そういうところから神=命=柱となったのかなと思った。手を合わせるという行為も自分の中に柱が立つのを感じる。
そう考えると、大黒柱だけでは家にはならない。
柱2本では空間は生まれない。最低3本無いと空間は出来上がらないですよね。もし4本あれば立派な空間が出来てそこに意味を持たせることが出来る。ここで気付いたのは柱に意味がある訳ではなく空間に意味があるということだ。
台所、というのも4本の柱の名前ではなくはしらを立てることで生まれた空間の呼び名であると気付きました。柱には命があるが空間には命は無い。これこそ究極の音楽の在り方だと確信した。
大黒柱と普通の柱が3本あればどんな部屋にでも出来る。
ひとりで生きていける。そういう人たちの強さが私も欲しいな。
自分が自分らしくとはいえ、自分が何者かがわからないうちはそれって意味を持たないだろうなぁ。
人生あと10〜20年。
何をしようかな。
コンサートという特別なところでの仕事。大きくなればなるほど終わった時の達成感をとても感じていた頃、もっと大きなステージでたくさんの経験を積みたい!という気持ちでいっぱいでした。最近ではコンサートが終わり、帰宅後ひとりになると孤独の闇に包まれる。そんな感覚が嫌いだった頃もあった。寂しくて仕方なくなって人肌が無性に恋しくなってしまう。今ではそんな孤独な時間が唯一寄り添う時間になったように思います。
音楽が少しでもそこにいたお客様のひとりでもいいから何か琴線に触れてくれたら幸せだと思いますね。
もうじょんからをやることはやめようと何度も思いました。体力もそうですが、弦やメンテナンスの高騰によりじょんからを1回やると弦も1回でアウトになるし、フレットも酷使してしまうためメンテナンスもなかなか。そんな維持費のこともあり、当然それがギャラに跳ね返って来てしまう。
しかし、やり続けないとならないのかな、という出来事が増えて来ている昨今より一層また孤独な戦いになるのかな。