2014年1月2日木曜日

寒中お見舞い申し上げます。お父さん、ありがとう。

昨年暮れに父を亡くし、今まで私の音楽を亡くなる直前まで支えてくれたことへの感謝の気持ちでいっぱいだ。

お父さん、ありがとう。

以前にも書いたけど、私の音楽の原点は父だった。
3歳の時に無性に聴きたいレコードがありそれを勝手にかけて聴こうとしたところを見つかって怒られたのでよく覚えている。
その後、かけて聴かせてくれたのがクロードチアリだった。
父はいつもギターを弾きながら良い音を教えてくれた。
そして、ギターリストとして認めてもらったのは中学3年の時だった。
「同じ曲を間違えることなく10回弾けたら認めてやる。」そう言われ猛練習したなあ。
その時やった曲はマイケルシェンカーグループのアームド アンド レイディーという曲だった。しかしいくら認めてもらっても父の奥深く優しく柔らかい音には足元にも及ばないのが当時の私にもよくわかった。
高校へ行って組んだバンドの機材運びやセッティングなどいつもワゴン車でやってくれた。バンドの合宿をやると言えばまた機材運びや食事などをメンバーの分まで作って現場まで持ってきてくれた。

今思えばよくこんなわがままを言えたものだと思う。

それ以降、結婚して可愛い子供を二人授かったにもかかわらず離婚した。そんな時、自分を大切に周りには迷惑かけるな!と言ってくれたなぁ。それから再び結婚し可愛い子供を授かるがまた離婚…。呆れながらも俺(父)はずっとお前の味方だからもう音楽だけ一生懸命やればいい。お前にはそれしかないのだから…。
そして、昨年12月3日ツアーに行く前に実家に立ち寄った。その時の父はとても穏やかで優しい父の顔だった。「いってきます!いってらっしゃい!」それが最後の父との会話。ツアーの途中、12/5救急搬送されたのを弟から聞いた。
その時私は博多で本番前のリハをやっていた。翌日にも予定があったが5日本番終了して急いで実家に戻った。まだ父は暖かかった。呼吸もしていたし顔色もさほど悪くはなかった。頭の血管が切れてもう助かる見込みはないと医者から聞かされた。そして12/7永眠。
ツアーに行くといつも酒の肴のお土産を買って帰った。
とにかく、音楽の仕事で生きて行くことはとても大変だ。それを理解し続けてずっと応援してくれて、ありがとう。
あなたの息子で良かった。


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