3/11に大きな長い横揺れが続き、治まってからすぐに寝袋と食料を車に積み込み、万が一に備えて車に避難した。地震は分刻みで続いた。
その後、すぐ近所で液状化現象や激しい地割れがあった。近所の家が心配になり、車で近所を見回りに行った。その帰り道、南の方角が真っ赤になっているのを発見し、なんだこれは!と見ていたら大きな火柱が上がった。これはもう尋常ではないと思っていたら今度は原発事故。
※ここからは私の私感です。
3/12、最初の段階で放射能汚染を確信した。政府が言っていることはパニックにならないための「大丈夫」であって、今までの過去がそうだが真実は述べられてはいなかった。原発事故の第一報の映像を見て即調べたが、直接の被爆でも100kmはありえるように思えた。そうなると大気、水、野菜、など様々なものがもう被爆するであろう。バンドのメンバーを集め、みなに移動することを伝えが、やはり抱えるものがみなあるためそうそう動く訳には行かない現状に立たされた。私は3/24に福岡での本番があったが前倒しをし、3/13に福岡へ向けて出発した。
高速道路は使わず下道で行くことにしたが静岡を抜けるまでの間、ガソリンスタンド渋滞とコンビニにはものは無く、パニックの大きさを実感した。
関西に入った頃にはスタンドの渋滞は無く、落ち着いた状況になっていた。
3日かけてようやく福岡に到着した。
福岡の仲間が応援してくれて次々と本番が入る中、埼玉への不安が募り出した。
埼玉の友人からの電話では今は帰って来ない方がいい、まだまだひどくなりそうだ、などと言われ余計に不安は増えるばかり。
とりあえず4/3に福岡を出て埼玉に戻るつもりではいるが、考えている。
とは言ってもいつまでもここにいる訳にもいかない。。。
音楽はどこでも続けられるのだが。。。
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