2021年8月16日月曜日
楽龍時に初めて来たのが2010年8月。ちょうど今頃だったな。
昔から音楽と喫茶店をやりたいと話していたタイミングでここを紹介してもらいここなら音楽も喫茶店もできるだろうということで引っ越しを決意した。
あれから11年経ってやっと楽龍時にエアコンを入れることが出来た。長かった。
たくさんの思い出とたくさんの経験をここでさせてもらってこの場所には感謝しかないです。
当初は「生音 楽龍時」という名前でやってはいたものの私の覚悟とやる気が中途半端だったため高飛車でどこかで他人を蔑んでいたところがあった。音楽で生活をしている自分に酔っていたんだなきっと。
全くどうしょうもない勘違いな奴だよな。
楽龍時に来るにあたって俺なりに覚悟を決めて来たつもりだったが全くの勘違いで当時のパートナーが全てやってくれていたんだよね。馬鹿だったな。今思えば貧乏だからではなくやる気を出せない口ばかりの俺に愛想をつかしてしまったのだろうね。
2010年10月楽龍時は華々しくたくさんの方々の応援を経て開店した。それはそれは大賑わいでイベントも大盛況が続いた。しかし2012年の春、残念なことに私はまた勘違いを起こしてしまった。全て自分の力でやったような振る舞いだったと思う。そこから一気に急転直下し元の木阿弥。当時のパートナーな離れて行った。そして音楽の大きな転機を迎えることになる。
フォーレストでの活動が始まり再び私の勘違いが炸裂しヴォーカリストを追い詰めてしまい2.3年で活動が終わってしまった。そして2012年春、楽龍時第二期であり、ピアノ奏者とのデュオがスタート。ここからようやく楽龍時のわずかな小さな一歩が踏み出されることになる。
夢や目標を改めて設定し楽龍時で簡単な飲み物を提供し自分の思う空間を再考し2016年頃洋風な雰囲気にイメージチェンジし常連のお客様が少しづつ増えてくる。ライブツアーを頻繁に行い生活の糧をとにかく獲得するために翻弄するが結果には結び付かずどんどん落ちて収入は激減の一途を辿り2018年秋、楽龍時も演奏活動もどん底に落ち収入の道を断たれてしまった。収入確保のために送迎の運転手のバイトを始めるが早朝から深夜に及ぶ仕事で翌年2019年1月に高血圧からめまいと吐き気に襲われるようになりバイトを休みがちになるがそのタイミングと被るように新型コロナウィルスが徐々に日本に迫って来始めた。その頃はまさかこんなことになるとは思いもしなかった。結局バイトは3月で辞めることになったが4月に新型コロナウィルスがさらに席巻し日本でも緊急事態宣言が出される状況にまでなり仕事は完全に途絶えた。
そんな折、今のスタッフたちと出会い、イベント企画をお願いしたところこれが大成功し音楽の活気を少しずつ取り戻していった。楽龍時に毎日いることでかつてから思い描いていた音楽と喫茶店をやりたいと思っていたことを思い返す良いきっかけにもなり、2020年改装イメージを絵に描いてみた。落ち込んでいた気持ちがどんどんワクワクする気持ちに変わり気がついたら実現するために行動をし始めていた。が、しかしまだ覚悟の甘い俺を司さんが叱咤激励をしてくれたお陰でやっと開眼の一歩を歩み始めた。長年生え続けた草木を全て刈り取り砂利を敷き駐車場を整備した。ここまで司さんが全て一緒にやってくれた。そして8月、喫茶店にするためには飲食店許可が必要だ。今のままでは許可が降りない。。。設計士に頼み図面を書いてもらい当時の友人たちでなんとDIYで改装に挑んだ。2020年9月キッチンは完成し飲食店営業許可証を手に入れた。そのすぐ後に新型コロナ感染予防対策をしている飲食店に協力金が下りることになった。絶妙なタイミングで生活が出来るようになった。
2021年5月には長年の歩みを刻んだ床を張り替え美しいフルフラットの床になった。
そして、2021年8月 長年の間ウィンドクーラーで頑張って来た楽龍時にエアコンが入り200V60Aのブレーカーが入った。
そしてこれからの課題はステージの照明を整えること、それとピアノの再考だ。
これはまだ夢だが今のピアノより小さいものでベーゼンドルファーを入れたいと思っている。
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