2022年10月5日水曜日

アコースティックベースこれまで

 長きにわたる体調不良にも慣れて来たかと思いきやちょっと忙しくなると途端に重度の疲労感でとても立ってはいられなくなる。困ったものだ。


今日はアコースティックベースについて書き留めておこうと思う。

初めて手にしたのは20年くらい前だっただろうか。athlete AX6。作りはとても良かったが音がどうしても馴染めず3年くらい前に手放したのだがアコースティックベースの手軽さが忘れられずにいた。2年程前、お客様が直して欲しいアコースティックベースがあると持ち込んできた。ネックが大いに暴れていてとても弾ける状況にはなかったのだが幸いそんなに難しい調整ではなく直りそうだったのでバッチリな感じに直しお客様に連絡したところもう弾かないので良かったらお店に置いて欲しいと言われそのまま預かることになった。

願ってもいないアコースティックベースの思わぬ入手に心が躍ったのも束の間、やはり6弦ベースのアコースティックがどうしても欲しくなってしまいネットで探すも基本、オーダーで作ってもらう他ないことがわかって来た。絶滅危惧種の少数派でしかないのだろう。

諦めかけてたころ、Warwick RockBass Alien6がなんと会津若松の質屋で売っていることを突き止めた。早速連絡し個体の状態を事細かく聞いたのだがやはり実物を見てみるまでは心配でしかたなかったのだがmade in Chinaとはいえ handmadeで新品でも10万円ちょっとという破格が中古なもんだから更に安い!YouTubeで音を聴きまくりなかぬかイケると踏んで購入を決めた。

その直後急遽盛岡にライブで行くことになり、ん?!こりゃ待てよ、ちょっと遠回りにはなるが会津若松で手に入れてから盛岡に行くことも出来るかも…とニンマリ。しかし既に病気が悪化し始めていたため自分で運転することは出来ず、仲間のコバちゃんに運転をお願いし会津若松に寄って欲しい旨を伝えたら快く受けてくれた。コバちゃんに感謝ですよ、ホント!

いよいよ盛岡へ向かう段になり念の為、フォデラも持ち、いざWarwick RockBass Alienの待つ会津若松へ向かった。ベースと対面し細部をチェックしその場で工具を借りメンテナンスをしてみたところ想像以上によく鳴り音も気に入った。

結局盛岡でのライブはRockBass Alienのみでやってしまった。こんなに鳴る6弦ベースがあるのか!と何度もその嬉しさに浸った。


アコースティックベースにはただならぬ憧れと嫉妬心があった。それは今まで弾いてきたベースはエレキベースで必ず電源、アンプが必要でありそのためのセッティングが必要なのでどうしても機材が増える。その点アコースティックベースはケースから出しさえすればもう演奏が可能だ。

Warwick RockBass Alien6を手に入れてからは一気に相棒になって行った。しかし、同じWarwickRockBass Alienを持つ仲間のベーシスト達からは音はそんなに良くは無い…と言われてしまった。自分ではかなり満足の行く音だったので早速レコーディングでも使用した。そうこうしているうちに気になる情報が飛び込んで来た。WarwickでRockBass Alienとは全く一線を画すWarwick Alienというのが存在するというのだ。またまた気になり、ネットで探して行くと、made in Germanyで使用する材や作りが全く違うWarwick Alienの存在がわかってきた。昔はKORGが輸入代理店だったのだが今は山野楽器が輸入代理店に変わっていたので早速連絡をしてみた。

結果、現在RockBass Alienも Alienもmade in Chinaしかないということがわかった。アコースティックベースをWarwickが作り始めたころには確かにmade in Germanyは存在していたそうだ。

それにしてもRockBass Alien6と比べて Alien6は全く別物であると海外の友人ベーシストからも多く聞かされていたのであらためてカタログの評価を見てみたが正直そこまでピンと来るような内容では無かった。しかし価格もRockBass Alienの4倍以上であることから何かが全く違う。わかっているのは材、形状が違うことくらいなのにこれだけの価格差は一体どこから…4弦、5弦を持っているミュージシャン達からは絶大なる音の良さと作りの違いを皆共通の意見として持っていた。

made in Chainaということで、一旦は躊躇してしまった。さらには日本では未だAlien6の取扱が無いため作ってもらえるのかどうか、また、本社に在庫があるのかどうかなど山野楽器も初めてのことで手を煩わせてしまうこととなった。数日後、プロの6弦ベース奏者ということで特別に時間はかかるが作ってもらえるとの連絡があった。これは願ってもいないチャンスだ。特別のハンドメイドラインで作るということで当初6月下旬には出来上がるという連絡がGermanyからあったのだがかなりガチで作るそうで10月頃になってしまうと再度連絡があった。

RockBass Alienとはアコースティックのラインナップの中では廉価版お手軽ベースだとわかった。

Alien6はいわばプロ仕様。

そんなドキドキワクワクするスペシャルオーダーカスタムベースが間も無くやってくる。

何よりもアコースティックベースの最高峰になるであろうWarwick Alienでライブをやることが今は楽しみであり目標でもある。

2022年5月21日土曜日

体調不良からの脱出

 2020年の春に高血圧で倒れてから2年。

周りの方々に助けてもらったおかげで少しずつ回復に向かっているように感じる。

ストレスに過敏になってしまっているようでちょっとしたことで一気に目眩が襲ってきて座っていることすら難しく静止していることが難儀だ。今までは大体の場合はしばらくすると落ち着いていたのだが最近ではなかなか復活しずらくなってきているので話を盛り上げたり、テンションが高くなることを避けるようにしているのだがこれがまた難しい。

なんでもやるぞ!という前傾姿勢でやるのが自分だったのがここに来てそれが出来なくなりどうしたらいいのかがわからなくなってしまったところもある。

そんなこんなで医者通いが続き一時は命に関わる話まで出ていろんなことを諦めていたが、今では一日が普通の人が24時間なのに対して8時間くらいということがわかり、1日で3日過ぎてしまう。

なので私の一日はおよそ8時間程度。その中で3時間程度の睡眠を摂るというサイクルだと分かりうまく付き合うことでだいぶ落ち着いてきた。

普通とまではいかないがかなり元気になってきているのが嬉しい。


嬉しかったこともたくさんある。

3.4年ぶりにシャンソン歌手 荒木陽一さんとのライブ

長きにわたって埼玉と福岡を行き来しながらやるライブは特別だったのだなと改めて思った。

中山英二師匠からの申し出という嬉しいお話をいただいてご一緒させて頂いたり

ベースとボーカルのデュオをやったり

沖縄から息子が来てくれて店を手伝ってくれたりとそれなりにゆっくりと楽しんでます。

エレクトリックのアップライトベースも手に入れて違った音楽性も表現できるものも楽しい。

フォデラも再び3本になり、Ibanez、新たにWarwick、Ns Designとベースも眺めていても楽しくなった。


今後は自分としては国内外で知り合った方々に会いたいし演奏をしたいが、楽龍時を基盤にしてやって行くしかないのかなと思うと寂しく思う。


気分屋(天邪鬼)で短気(不動明王)、人とお金が大好きな私に付き合ってくれてありがとう。

こんな私です。変わらないと思いますが今後とも宜しくお願いいたします。














2021年8月16日月曜日

俺の人生 我流 あれから11年

 2021年8月16日月曜日

楽龍時に初めて来たのが2010年8月。ちょうど今頃だったな。

昔から音楽と喫茶店をやりたいと話していたタイミングでここを紹介してもらいここなら音楽も喫茶店もできるだろうということで引っ越しを決意した。

あれから11年経ってやっと楽龍時にエアコンを入れることが出来た。長かった。

たくさんの思い出とたくさんの経験をここでさせてもらってこの場所には感謝しかないです。

当初は「生音 楽龍時」という名前でやってはいたものの私の覚悟とやる気が中途半端だったため高飛車でどこかで他人を蔑んでいたところがあった。音楽で生活をしている自分に酔っていたんだなきっと。

全くどうしょうもない勘違いな奴だよな。

楽龍時に来るにあたって俺なりに覚悟を決めて来たつもりだったが全くの勘違いで当時のパートナーが全てやってくれていたんだよね。馬鹿だったな。今思えば貧乏だからではなくやる気を出せない口ばかりの俺に愛想をつかしてしまったのだろうね。

2010年10月楽龍時は華々しくたくさんの方々の応援を経て開店した。それはそれは大賑わいでイベントも大盛況が続いた。しかし2012年の春、残念なことに私はまた勘違いを起こしてしまった。全て自分の力でやったような振る舞いだったと思う。そこから一気に急転直下し元の木阿弥。当時のパートナーな離れて行った。そして音楽の大きな転機を迎えることになる。

フォーレストでの活動が始まり再び私の勘違いが炸裂しヴォーカリストを追い詰めてしまい2.3年で活動が終わってしまった。そして2012年春、楽龍時第二期であり、ピアノ奏者とのデュオがスタート。ここからようやく楽龍時のわずかな小さな一歩が踏み出されることになる。

夢や目標を改めて設定し楽龍時で簡単な飲み物を提供し自分の思う空間を再考し2016年頃洋風な雰囲気にイメージチェンジし常連のお客様が少しづつ増えてくる。ライブツアーを頻繁に行い生活の糧をとにかく獲得するために翻弄するが結果には結び付かずどんどん落ちて収入は激減の一途を辿り2018年秋、楽龍時も演奏活動もどん底に落ち収入の道を断たれてしまった。収入確保のために送迎の運転手のバイトを始めるが早朝から深夜に及ぶ仕事で翌年2019年1月に高血圧からめまいと吐き気に襲われるようになりバイトを休みがちになるがそのタイミングと被るように新型コロナウィルスが徐々に日本に迫って来始めた。その頃はまさかこんなことになるとは思いもしなかった。結局バイトは3月で辞めることになったが4月に新型コロナウィルスがさらに席巻し日本でも緊急事態宣言が出される状況にまでなり仕事は完全に途絶えた。

そんな折、今のスタッフたちと出会い、イベント企画をお願いしたところこれが大成功し音楽の活気を少しずつ取り戻していった。楽龍時に毎日いることでかつてから思い描いていた音楽と喫茶店をやりたいと思っていたことを思い返す良いきっかけにもなり、2020年改装イメージを絵に描いてみた。落ち込んでいた気持ちがどんどんワクワクする気持ちに変わり気がついたら実現するために行動をし始めていた。が、しかしまだ覚悟の甘い俺を司さんが叱咤激励をしてくれたお陰でやっと開眼の一歩を歩み始めた。長年生え続けた草木を全て刈り取り砂利を敷き駐車場を整備した。ここまで司さんが全て一緒にやってくれた。そして8月、喫茶店にするためには飲食店許可が必要だ。今のままでは許可が降りない。。。設計士に頼み図面を書いてもらい当時の友人たちでなんとDIYで改装に挑んだ。2020年9月キッチンは完成し飲食店営業許可証を手に入れた。そのすぐ後に新型コロナ感染予防対策をしている飲食店に協力金が下りることになった。絶妙なタイミングで生活が出来るようになった。
2021年5月には長年の歩みを刻んだ床を張り替え美しいフルフラットの床になった。
そして、2021年8月 長年の間ウィンドクーラーで頑張って来た楽龍時にエアコンが入り200V60Aのブレーカーが入った。

そしてこれからの課題はステージの照明を整えること、それとピアノの再考だ。
これはまだ夢だが今のピアノより小さいものでベーゼンドルファーを入れたいと思っている。



2021年6月17日木曜日

ほとんどの人が見ていないここのブログではありますがごくたまに更新してます。

そしてほとんどの人が生で見たことのないもを見せていただいた

こんな仕事やってきて様々な信用を得るのは本当に大変だった訳だけど借金王にならないように気をつけて様々な信用を得て行けたらとこんなカードを見ていて思った。

ちなみにこれは写真だけ 笑

アメックスから電話がかかって来て案内状を送っていいか聞かれて届いた後にわざわざ営業が出向いてきて、サインして再度審査があり通過したら辿り着くという代物らしい。

今ではネットからでも会員になれると聞いたがそれはズル!
基本的にはインヴィテーション、つまりはアメックスからの招待状が来て初めて手に出来るというものだそうだ。

お付きの営業マンがいるプラチナ会員は全国でもかなり少数で埼玉県では片手いないとか!?

貴重なものを見せてもらった。


雲が降りる庭

2021年5月18日火曜日

 昨年の1月には高血圧になり不自由な月日が流れたかと思っていたら今度は新型コロナウィルスという未曾有のウィルス感染症が世界中を包み現在もなおその猛威は続いている。

楽龍時は昨年5月26日から店長としてコーヒーマイスターの石川さやかが入ってくれることになり喫茶店としての雰囲気が生まれたことで一つ夢が叶ったと思いました。嬉しかったですね!

その状況を踏まえて同年9月に2週間で改装をすると決めたところたくさんの友人が手伝ってくれて無事完成。みんなの知恵と努力の結晶の「楽龍時」の完成だ。

飲食店許可を取り飲食店として新たな一歩を踏み出した。彼女の手腕のお陰で楽龍時は大きく生まれ変わった。10〜11月には地元メディアがたくさん取り上げて下さり上内川とは思えない程の新たなスタートを切りなんと市長まで来て下さり一気に盛り上がって行った。

しかし、ことはそんなに簡単ではなくお客様は少なくこのままでは以前と変わらない道を歩くことになってしまう恐怖が襲ってくる。そんな気持ちは払拭するように楽龍時でのさまざまなアーティストのライブを入れ、自分はコーヒー以外の看板メニューを作らねばと昨年11月から手打ちうどんを始める。全国のさまざまな食を食べて来た中でも蕎麦とうどんにはちょっと自信がある。しかし作る側となるとど初心者だ。それからずっとうどん打ちに励むこと半年くらい経ってやっと何かが見えて来た。自分が知っている全国のうどんの中でどのうどんを追い求めようかと思いながら試行錯誤を繰り返しているが未だそのうどんは見えて来ないんです。

出汁は大体決まりましたね。関東でも関西でもない中くらいの感じ。


音楽では特に変わったことというのは無いというかその気になかなかなれずにいる。腕だけは落とさないようにと練習しているが本当に無開けないですね。やっぱり音楽好きじゃ無いのかな 笑。フォデラの5弦を再び手に入れることに成功したのは大きな功績だがもっと弾きたいという思いがあるにも関わらずなかなかその気になれないのは本当に残念なやつだ。作曲も3曲以上依頼があるのになかなか向き合えない。。。コロナ疲れもあるとは思うけどね。

それでもやりますよ!ちゃんとね♪

2021年3月3日水曜日

 ほとんど見られていないからいいというのもあるこちらのブログ。

早いもので昨年で楽龍時は10年を迎えた。

吉川市長を始めたくさんの方々にお祝いをして頂き感無量でした。

この10年あまりに様々な事がありすぎて整理がつかない程ではあるが、ゆっくりと思い出していくことにしよう。

この場所で店をやることそのものが誰に聞いても無理だと言われそれでも他に行く当てもない。最初の3年くらいはKさんと何とかやっていたが次第にやる気が失せてしまいなかなかエンジンをかけるタイミングを失ってしまっていた。それでも細々とイベントをやりはするが全て失敗に終わりとてもじゃないが生活はどんどん困窮を極めて行ってしまった。自分としては最後の手段だと思い演奏旅行を企てピアニストのTちゃんとこれでもか!のハードスケジュール、そして年間8万キロを走るほどのツアーをやりまくった。しかしこれも思うような結果を出すことは出来なかった。いよいよ手段が無くなり働きに出ることにした。最初はデイサービスの送迎、少し慣れてきてからは飲食店でのバスの送迎の仕事を始めた。が、しかし翌年に新型コロナウィルスが蔓延し始め送迎の仕事が少しずつ減り始めた頃高血圧で倒れてしまい職を失ってしまった。完全にThe ENDだと思った。焦っても仕方がないことはわかっていても家賃光熱費など生活最低限の支払いは情け容赦なくやってくる。

高血圧で立つこともままならなくなり250近い数値が続き完全にStopしてしまった。

しかし、タイミングを同じくして新型コロナウィルスが猛威を振るいだし緊急事態宣言が発令され全ての店がストップするという異例の事態になってしまった。私にとってはナイスタイミングだった。それから楽龍時のリフォーム計画を企て料理場を作り直し飲食店営業許可を取得し、楽龍時は飲食店の出来る店に変わった。10周年記念には吉川市長が来てくださり昨年6月から入ってくれたコーヒーマイスターS氏、音響のKちゃん、イベント担当のAさん、常連のお客様の多大なる協力により勢いを増してきている。

再び今年2021年1月に新型コロナが再び猛威を奮い出し2月から現在3月3日に至るまで(まだ続きそうだ)緊急事態宣言が発令し飲食店は営業時間短縮を余儀なくされることになった。

これからどうなってしまうのかは誰にもわからないが、1日1日を丁寧にやって行くしかないだろうと思っている。