2011年12月13日火曜日

12/11バースデー

本当に嬉しかった!シャンソン歌手の荒木さんが福岡から、ピアノのけんちゃんは神奈川から、そしてお祝いに来て下さった方々は埼玉、茨城、千葉、岐阜などなど遠くから来て下さいました。

11日当日、群馬県神流町にある「不動の滝」へみんなで向かった。

ここでちょっと経緯をお話しますね。みなさんは覚えてますか?去年、作曲をする際に行き詰まってしまい、何となく「西へ来い。。。」そんなイメージが降りて来て、ひたすら西へ向かい、辿り着いたのがこの「不動の滝」でした。そしてそこで不思議な体験をし、帰宅後すぐに6曲出来てしまいCDが完成したこと。今いる楽龍時を紹介されてここに住むようになったこと。そんな話をライブでしていたら是非行きたい!とおっしゃる方々がいて、ついに行くことになった。それが11日だったわけ。

で、みんなで行ったのですが、その日はなんとこの神流町が「安住紳一郎の日曜天国」というTBSラジオ番組の公開生放送でバスツアーを組んで来ていた。バスは大型バス5台、さらに自家用車で来られた方々で、まさかのほんのり渋滞。以前行った時には昼間でも対向車はほとんど来ないし、前後にもほとんど車はいないという静かなところだったので、びっくりしました。まあそれは関係のない話。

いよいよ現場に到着。この滝は全部で3つある。下から一の滝、二の滝、三の滝となっていて一の滝と二の滝には比較的簡単に見られる。比較的というのは倒木をまたぎ道らしく見えるところ辿りながら歩いて行かなければならないからだ。正直道らしい道は無い。けど川に沿って歩いて行くんですよするとまず一の滝と二の滝が姿を現す。この時点で対した滝ではないのにこんな危険なところをあるかなくちゃなの?とちょっと疑問に思ったりもする。しかーし!それは序曲なのだ!!

少し道を戻り、急な木の階段がうっすらとある別の道へと入って行くのだ。20段程上がっては休み、という急な階段。しかも滑るので注意深く一歩づつ性格に歩みを進めていく。階段が終わったかと思うと今度は20cmとない道幅、右側はもう急斜面なので落ちたらOUT!(手すりがあるのでちょっと大げさな表現でした)を滑らないようにゆっくり上って行く。すると今度は一気に下り階段が現れ見るからに滑りそうな、しかも段差がとてもある階段を下る。この日は紅葉で覆い尽くされたとても綺麗な美しい階段に変身していた。

そして左側に立派なほこらが姿を表し、その中には「不動明王が!!」さらに右方向に歩いて行くと!!!
ついに不動の滝が姿を現す!!凛とした品のある美しい滝だ。みんな滑りながら転びながら道無き道を歩いて辿り着いたこの滝を見て思わずため息がこぼれ、手を合わせながら「こんなに品のある滝を見たのは初めて!」と口々に言っていた。私も以前来た時のような怖さはまるで無く、まさに聖域に来たような穏やかな気持ちになった。しばらくこの感動に皆で浸ってから、また来た道を戻って帰った。帰りの車の中では感動冷め止まぬ感じだった。

13:30開場 14:00開演のバースデーライブにはばっちり間に合い、セッティングを済ませ、埼玉、千葉から来て下さった方々も加わりコンサートは無事スタートしました。私が早速、この滝のイメージで即興を2曲程やらせて頂き、そのあとに荒木さん、けんちゃんが加わりシャンソン。

ライブ終了後はみなで囲炉裡を囲んでしゃぶしゃぶ!美味しかった!嬉しかった!!愛を感じました!!

こんなに素敵な誕生日を送らせて頂いて感無量でした。そして翌12日にはフレンチ、十割そばをごちそうになりまた太ってしまいそうでしたあ(^^/

仕事は本当にまだまだこれからだけれどみんなの思いをしっかり活かして行こう!
本当にみんなありがとう!!

写真撮影 ききさん










2011年8月27日土曜日

福岡から埼玉までの道のり

24日11時、福岡を出発!今回は行き同様に高速道路、有料道路を使わずにひたすら走って帰るという感じで未だかつて無い長時間の運転でした。
24日の初日は九州を出て日本海側を走り、まず山口県に入りスーパーへ!お目当ては「瓦蕎麦」のインスタント。あるかどうかわからないが行ってみたらあったんです!これは!!と思い思わずお土産に。萩を通った時に思ったのですが、あの街の佇まいの良さは長州藩のプライドを今なお受け継いでいるように感じました。やっぱり誇りだよなあ。次なる目的地、出雲大社に22:30到着。ここでまず面白いことになった。なんせ22:30。開いている訳はない。。。ですよね!なので境内外を散策し、入り口前でパンパンと手を合わせて車に戻ろうとしたら、なんとまあ本殿がこうこうと光りに照らされて入り口がしっかり開いているではないですか!そのまま入り、怒られたらそれはその時と思っていたのですが全くその様子はない。実はこの日、修復のために職人さんが入っていたんです。その修復工事のために照明を付けていたんです。たまたまその時に職人さんが休憩で誰一人いなかったのです。とまあそんなこんなで夜中に境内を歩き回り、監視員のおじさんと仲良くなりいろいろと説明までしていただいちゃいました。
次の目的地は松江城。到着は24:10だったかな。外からは堀しか見えない様な感じでさすがにここは入らず、お城の周りをぐるっと一周して終わり。それにしても結構広いお城でした。次なる目的地は鳥取!と思ったのですが米子で眠くなってしまい、道の駅で車中泊。
25日6:30起床。途中風力発電のプロペラがたくさんあってそのでかさと数に驚きながら走りました。鳥取砂丘!ここも広いですよね。次なる目的地は木曽路!中津川とアルプスを見ながらの運転は気持ちイイだろうと思い一路、木曽へ。この途中、関ヶ原、名古屋を抜けたところでスーパーで食料調達!このスーパーが私には一番のお土産屋で、そこにしかない食べ物を手に入れるのが好きなんです。名古屋は以前通った時にとても美味しいインスタントの味噌煮込みラーメンと醤油と赤みそをゲットしたので、今回も同じものを入手。早く食べたい!
木曽路の入り口、松本まで100Km地点の路の駅で車中泊。
26日8:30起床 9:00出発。とにかく涼しい。気温23℃。山の中へ入って行けば行く程気温は下がり20℃。塩尻を抜け松本城へ向かった。久しぶりの松本城は松江城を見たあとだとちょっぴり小さく感じた。
松本の温泉街を抜け林道に入る。次なる目的地は美ヶ原。下界は曇っていてどうかな、と思っていたが、それはそれは素晴らしい景色「上松 小野の滝」に出会いました。これは素晴らしい滝でした。中山道六十九次にも描かれているそうです。思わず作曲!そして美ヶ原へ。美ヶ原高原ドライブインのおじちゃんがいろいろ教えて下さり、360度マップというそこから見える山々が描かれているものをくれました。素敵でしたよ。おやきを食べて、そこにしかないというカップラーメンを食べたのだが、これが驚きの具沢山の美味しいものでした。水と空気のせいもあると思いますが、たまにさす陽射しが感無量!標高1900mから見下ろす街はお山の大将になった気分で気持ちよかったです 笑。食事を済ませた後、今度は草津温泉へ。山を下り、そしてまた上り、気温は23℃のまま涼しい風を受け気分は最高でした。草津温泉にはかなり久しぶりに行きました。入るお風呂はご存知「白幡の湯」笑。知ってる人はよく知っていると思いますが知らない人のために。。。湯畑のすぐ前にある無料で入れるお風呂です。混浴ではありません。しかし、扉を開けるとすぐ脱衣所でそのまま風呂なんです。そしてこの湯は強酸性でしかも熱い!足を付けただけで出て行く人も少なくない。私は肩まで入りしっかり毒を抜いて来ました。付近を散策し温泉まんじゅうをもらって食べて、以前作曲した「ベルツの森」を見て、いよいよ楽龍時への帰り時についた。時間は16:30頃。ここからは一気に懐かしい幸楽苑の餃子を食べるために幸手市へ向かった。食べ追われはここから30分で楽龍時だ!
楽龍時到着22:30。往復の走行距離3400km。今回はちょっと少なかったけど楽しい旅でした。次回九州は11月なのでそれまでは埼玉で頑張るぞ!!

2011年8月16日火曜日

ありがとう太宰府

今回お世話になったのは太宰府のHさん宅。3泊もしてしまった。しかもマイペースに仕事をさせてもらって。ありがとうHさん。お陰でいい曲が出来ました。ここは景色が良くて居心地がいいので、癖になりますね。今日からは天神界隈にいると思います。明日は佐世保。明後日は熊本ですね。さて、そのあとはどこに行こうかな。

出来上がった!

旅の最中に2曲完成!13日、涼しいところで寝たいと思い、山の中へ入って行った。しばらく行くと「吉野山キャンプ場」と書いてあった。川があり、とても気持ちのいい場所だったのでスーッと曲が出来た。しかし何かが違うと思い、山の奥へと入って行った。標高1000mあるらしいどこだかの山の山頂に辿り着いた。強く吹き付ける風雨、辺りは真っ暗だがすぐ傍に自衛隊航空基地らしいところがある。ここなら自然界以外の音は聞こえないな、と思い車中泊はここに決定した。夕方に作った曲の練り直しを突然突風のように吹く風と雨、濃い霧の中、Macを立ち上げメロディラインだけを起こして、ゆっくり自然に耳を傾けることにした。深く芳醇な自然界のハーモニーの素晴らしさをひとり車の中で感動に浸っていた。
翌日14日、太宰府にある宝満山に行ってみた。ここでも素晴らしい夕陽の歓迎を受けた。
今朝、「吉野山の蜻蛉」、「宝満山の夕陽」の2曲が完成した。きっとあとから手直ししたくなる箇所が出てくるんだろうなぁ。今日は久しぶりに天神界隈に行って人にお会いする。楽しみだあ♫

2011年8月13日土曜日

続き〜関ヶ原から

11日午前8時に起床。即出発。関ヶ原付近から日本海を目指して8号線に出た。と、ここまでは良かったのだが携帯についているナビが全く違う方向へとナビしてる。あれ?おかしいぞ、それでは日本海に出るどころか2号線に出てしまう。。。縮小して地図を見てみたらやはりそうだった。目的地の設定を鳥取に変更して軌道修正が完了した。いよいよ鳥取に入り右手にはとても綺麗な海の景色が現れた。帰省の人、海に遊びに来ている人で道路は渋滞していたが景色のおかげで全く気になる事は無かった。このまま8号線を走り、9号線に出れば松江を通っていい景色の中を走れると思いワクワクしていた。もうこれで福岡までは一直線だと思い、ナビの設定を鳥取から福岡に変更して走った。そしたらまた、米子から2号線に降りる指示が。なぜ?ここまで来たら2号線より信号は少ないし大きな都市を通る訳でもないのだから2号線に降りる必要はないはず。しかし行けども行けども「ルートを外れました。再探索します」がなりやまない。いい加減嫌になり、ナビの言う通りに走り出した。しばらくナビに「ここで2号線に下りて広島に出て都市部を通ってなぜこっちだというんだ」と文句を言いながら走った。せっかくなのでナビの精度の誤差がどの程度あるか確かめることにした。驚いたことに、広島に出るまで殆ど信号が無かった。広島に出ていままでこの土地でライブをやったことを思い出し、原爆のことを思い出した。ドームに向かい手を合わせた。更に走り続け今日はどこまで走ろうか体調と相談しながら走っていたら、福岡博多迄あと250キロになっていた。クーラーボックスからコーヒーを取り出し気持ちを切り替えて走り続けた。深夜1時を過ぎていたかな。関門トンネルが近づいて来た!よっしゃー!このまま博多まで行くぞ!着いたら何をしようか、どこで寝ようか、色々考えていたら博多駅の前だった。いつも行く風呂の駐車場で寝ることにした。12日午前3時到着!

2011年8月12日金曜日

再び福岡へ

7/10に埼玉県吉川市を出発。高速道路1000円が終了したこともあり下を通って行くことにした。コースは、簡単に書くと「R16→R17→R254→R18→R19→R21→R356→R8→R9→R3」。あってたかな?
10:00 R16と県道を通って、自宅から実家のある上尾市へ向かった。
11:00 実家到着。お盆なので線香をあげてしばらく母と話をしている間におにぎりと飲み物を父が買い込んで来てくれた。ありがたいことです。
12:30 食事を済ませてさて出発!いよいよスタートだ。
コースはR17→R254→R18。上尾から長野県東御市の知人宅までがまず最初の目的地。弟がトラック運転手をしているので道を確認しながら進行することにした。道路が混んでいてなかなか思うように走れなかったり、交通量のや店が増えたのにはちょっと寂しい思いもした。中仙道は思い出の詰まった街道の一つでとても好きな街道だ。この話を始めるとこれだけで終わってしまいそうなのでその話の続きはライブで!途中休憩はいつもしないのでただひたすら走る続けるのですが、神流町。。。ここがとても以前から気になっていたんです。神なんて付く地名にはどんないわれがあるのか。そして神流町に入って間もなく、石材店が現れたかと思うと仏像、菩薩、観音像などなど道路脇にたくさん!そこそこ大きいので迫力があった。1店舗ではない。何店舗もある。なにかきっとあるところだろうなあ。この神流町のことは以前にも書いたがこの話にも後日談があるのでこれもまたライブで聞いて下さい笑。
話はもとに戻りますが、中仙道を進み東御市に着いたのは17:00。久しぶりにお会いしたのは森に住んで森を守っている、森さんご夫妻。随分とご無沙汰してしまっていたので昔話に花が咲いた。小学生と一緒にコンサートをやったり楽器を作ったり楽しい思い出が森さんとはたくさんあった。夕食をご馳走になり、大きなお風呂(足を伸ばしてもとどかない)も入らせて頂きいざ出発。食い逃げ?笑。ここからは一路、福岡へ向かって一気に行く。お盆の帰省も予想されるので夜間に都市部を通過して行く。皆さんご存知かと思いますが中仙道は東京日本橋から長野信州木曽路を通り京都まで続きます。今では国道に代わり、1本ではなくちょとややこしくR17→R18→R19→R21な感じになっています。多分。。。
今回は帰省ラッシュを考えて都市部の多いR17を途中まで走って川越街道R254で軽井沢に向かいR18で東御市。ここから再びR18からちょこちょこ周り、和田峠を通ってR21へ出る。この和田峠の景色が好きなのだがなぜかいっつも夜。夜だったからただひたすら走った。眠くなるまで走って関ヶ原まで来たところで広いコンビニを発見!ここで寝よう。と駐車場に入れた途端に寝てしまった。気がついたらもう朝8時でした。
続く。。。

2011年7月20日水曜日

がんばって欲しいなあ

先日の7/18に川越市民会館にて9才の天才ピアニスト奥田弦君、ベテランジャズドラマーの安藤正則さんとコンサートがあった。
私のソロはかねてから賛否両論ある。というのもベースらしくないフレーズを弾きまくることが一番の要因だろう。しかし私にはあまり関係ない。
どのジャンルにも様々な規則がある。特にジャズやクラシックは凄いですよね。もしこれが音楽ではなく国同士だったら戦争勃発なくらい「これはこうだ!あれはああだ!こんなのはジャズじゃない!こんなのはクラシックじゃない!音楽をなめてる!・・・」などなどま〜大変なことになるでしょうね。
私のYouTubeの「平家物語」のコメントを観て下さった方はよくご存知かと思いますが、実に批判とクレームばかり 笑。

ちょっと話はそれますが、以前私がラジオのパーソナリティーをやることになった時のこと。局長から「憎まれるくらいの番組を、批判されるくらいの番組をやって欲しい!」と言われました。最初は意味がよくわからなかったのですが、局長が「毒○三太夫さんは最初の半年間はクレームだらけだった。しかし時を重ねて行くうちに逆転現象が起こったんだ。今では大変な番組だろ。箸にも棒にも引っかからない方が問題なんだ。憎まれて、批判されて、そんなことが実は大切なことなんだ。」といっていた。

話は「平家物語」に戻りますが、最初はちょっとへこんだんです。あまりに批判ばかりでしたので。。。
しかし、今となってはありがたいです。聴いてさえくれればカウントは上がるんですよね。そしてまた批判してくれる。気が付くと批判している人達に私の良さを解いてくれるコメントを残してくれる人まで現れる。
こんな素敵なことはないですよね。

私は音楽で表現して行くことが生きて行く上での最低限の約束であって、それから先は自分が感じて来た人生と見て来た自然との交わりから感じたものを紡ぐ以外に大切なことは無いという「我流」なのです。

私はジャズマンでもクラシック奏者でも、ありません。もしかするとベーシストでも無いかも知れません。大切なのは音を自分なりに楽しみ、それに共感してくれる人達と共に生きること。
ジャンルの垣根や楽器の垣根、年齢の垣根も私にはナンセンスなんです。そこに奏者とお客様の笑顔があればそれでいいのです。
この7月7日で音楽生活16年になりました。このまま頑張って続けて行きたいと思っています。

弦君はまだ9才。天才と言われていい部分も辛い部分もいろいろあると思うけど「我流」で頑張って欲しいな。