2014年7月1日火曜日

身体とは反対に・・・

心はどんどんやせ細っている気がする。
変な疲れが取れない。
脅威、恐怖、信頼、信用、自信、気力。。。

あれ?鬱かな?

ちょっと違う意味で頑張り過ぎたかな。

旅に出ようかな。作曲の仕事もあるし。
なんか心が破綻しそうだ。

仕事をしているときが幸せなんだよね、おれ。

でも仕事に嫌われているのかな。
仕事が上手く行っていないとは思いたくないけど、今の現状はすぐに変わることはなさそうだ。いつまでこのトンネル続くのかな。

おーい!って呼んでみても返って来る音も声も何も無い。

うん、仕事がしたいね。

2014年5月28日水曜日

3年前に結成したバンド「For-Rest」

2011年春、For-Restをボーカル、ピアノ、ベースで結成し2014年4月ギターが加わり4人編成となった。

2011年春。はにしなききが錦織貴子を連れて私の元にやって来た。
「夢に見る印税生活がしたい!」と言って。

「アロマティックミュージック」という新しいジャンルを確立して行こうと作曲、アレンジには細心の注意を払いながら作っている。

ボーカル:はにしなきき
ピアノ:錦織貴子
ギター:東海林克
ベース&チェロ:重廣誠。

ひとりずつの方々に聴いてもらって、いい仕事が出来るように頑張って行こうな。

どんな門も必ず開く。


本物になろうと思うな。みなそのままで本物なのだから。

2014年5月5日月曜日

BassとCello

音楽だけで生きて行くのは本当に大変だ。端は好きなことをやっているんだから、というけれどおれはサラリーマンに憧れていたし。

そんな中で音楽を仕事以外の感覚でやるということはもう殆ど忘れてしまっている。伴奏に徹することが多くなるとソロスタイルがなかなかやりにくくなる。もともと不器用で頭も良くないからな。同時にいくつものことが出来ない、いわゆる一本調子。
しかし、そんなことも言ってられない。明日はSoloをやる。イメージを整理しておかなきゃな。

Bassという楽器は本当にシンプルだけれどもとても奥が深くて難しいとつくづく思う。
本来、ソロ楽器ではないが最近ではみんなソロをやることが当たり前になって来たよなあ。派手でお客様に届く技術や、音が定着して来たのかな。youTubeみてもまあみんな凄いよなあ。上手いし。おれは上手くはない。あの音が好きなんだな。
それでも、お前より上手い奴がいるとかわざわざ言って来る奴がいるけど、そんなものは関係ない。おれにしか出来ないことはそいつには出来ない。それでいいと思っているからな。まあ、そうは言ってもそのおれにしか出来ないことを追求するって言うのが骨が折れる作業なんだよな。
おれの場合はとにかく自然にふれてそれをフレーズにしてイメージを整えてもう一度フレーズに返す、という作業が主なのだが、最近疲れているのかなかなかソロイメージまで辿り着かないんだな。それでもやらなきゃならないのは結構苦行だったりする訳だが、他の人たちが仕事で味わっている感じと同じだよな。

自分の場合は本当はソロはあまり気が進まない。なんといってもしっかりと低音で支えているあの感触がはまる気がする。
ピアノとやる時には困ることがとても多い。思い切りかぶるだけではなくなんだか違和感を感じるかぶり方なんだな。ユニゾンであってもね。そんなことを払拭したいという思いもありチェロでやるようになった。これはいいな。弓を使うことももちろんだが、支える感、若干の高音でのアプローチは有効なことが多いように思う。コントラバスでもいいのだが、持ち運びや置き場所を考えるとちょっと難しい。チェロは軽い、小さい、存在感もあり、程よい低音と高音は演奏していても心地いい。

お客様と伴奏者として求めてもらえる限り続けられるがそれは明日で終わりかも知れない、おれも立派なリストラ予備軍の仲間だ。

さあ〜て。

体当たりで行くしかないよな。


2014年4月15日火曜日

疲れているのか…

夢…
ある方からの紹介である場所を借りることになった。
周囲は住宅街。我が家は一面砂だらけで面積は300坪ほどある。
その土地に家は建っていない。砂山に半分洞穴のようなところが寝床。
他にあるのは砂山と誰かが掘った穴とその土地に隣接する住宅。
ある時、誰かがスコップで地面の下から掘りながらマンホールの様なものが出て来る。
私はその穴をスコップで砂で埋める。
寝床の洞窟が崩れ落ちる。

夢占いでは、計画して来たことが崩れるとのこと。

今まで私の人生、どれだけ組み立ては壊れて来たことか…。
これでは信頼を失う以前に自分が参ってしまう。

それとも…

それでも続ける音楽。
自分を残し続けられる唯一の形。手段。

疲れたという程のことはまだしていない。


2014年1月2日木曜日

寒中お見舞い申し上げます。お父さん、ありがとう。

昨年暮れに父を亡くし、今まで私の音楽を亡くなる直前まで支えてくれたことへの感謝の気持ちでいっぱいだ。

お父さん、ありがとう。

以前にも書いたけど、私の音楽の原点は父だった。
3歳の時に無性に聴きたいレコードがありそれを勝手にかけて聴こうとしたところを見つかって怒られたのでよく覚えている。
その後、かけて聴かせてくれたのがクロードチアリだった。
父はいつもギターを弾きながら良い音を教えてくれた。
そして、ギターリストとして認めてもらったのは中学3年の時だった。
「同じ曲を間違えることなく10回弾けたら認めてやる。」そう言われ猛練習したなあ。
その時やった曲はマイケルシェンカーグループのアームド アンド レイディーという曲だった。しかしいくら認めてもらっても父の奥深く優しく柔らかい音には足元にも及ばないのが当時の私にもよくわかった。
高校へ行って組んだバンドの機材運びやセッティングなどいつもワゴン車でやってくれた。バンドの合宿をやると言えばまた機材運びや食事などをメンバーの分まで作って現場まで持ってきてくれた。

今思えばよくこんなわがままを言えたものだと思う。

それ以降、結婚して可愛い子供を二人授かったにもかかわらず離婚した。そんな時、自分を大切に周りには迷惑かけるな!と言ってくれたなぁ。それから再び結婚し可愛い子供を授かるがまた離婚…。呆れながらも俺(父)はずっとお前の味方だからもう音楽だけ一生懸命やればいい。お前にはそれしかないのだから…。
そして、昨年12月3日ツアーに行く前に実家に立ち寄った。その時の父はとても穏やかで優しい父の顔だった。「いってきます!いってらっしゃい!」それが最後の父との会話。ツアーの途中、12/5救急搬送されたのを弟から聞いた。
その時私は博多で本番前のリハをやっていた。翌日にも予定があったが5日本番終了して急いで実家に戻った。まだ父は暖かかった。呼吸もしていたし顔色もさほど悪くはなかった。頭の血管が切れてもう助かる見込みはないと医者から聞かされた。そして12/7永眠。
ツアーに行くといつも酒の肴のお土産を買って帰った。
とにかく、音楽の仕事で生きて行くことはとても大変だ。それを理解し続けてずっと応援してくれて、ありがとう。
あなたの息子で良かった。